小説

『Rapunzel』友松哲也(『ラプンツェル』)

 香苗はそうやって声をかける。聞こえた声は明らかに女性の声で、弱々しくて寂しそうに聞こえた。だからか、香苗は気になってもう一度声をかける。
「大丈夫?」
 すぐには返答がないが、人影は香苗の方を向いている。どうやら香苗のことを認識しているようだ。
「閉じ込められているの?大丈夫?」ともう一度優しく声をかける。
 とその時、今まで月を隠していた雲が動き、月明かりがあたりに降り注いだ。そして、ようやく香苗は人影を詳細に認識する。その人影は香苗だった。香苗自身だった。いや正確にはまったく同一人物とは言い切れない。髪型が違うのだ。髪の毛は量が多く、ウェーブしている。また、ひどく長くて、窓から見える限りでは腰よりも下まで伸びているように見える。香苗は、普段からショートカットで肩までさえ伸びていない。だから、同一人物とは言い切れない。明らかに顔つきは香苗そのものだが、姿形は香苗ではない。
 香苗はハッと息を飲む。その香苗にそっくりの人物は香苗を睨むように見ている。なんでそんな目で私をみるの。香苗の胸は得体のしれない恐怖でいっぱいになる。自分の内面をえぐりとられるような、まるで自分で自分の首をしめているような、そんな気がしてならない。お前は何をしているんだ。お前は何をしているんだ。繰り返し訴えかけるようなその目。やめて。やめて。私は悪くない。悪くない。悪くない。
 次の瞬間に目が醒める。激しく動悸がし、息がつまるような感覚が喉元にある。首まわりにはじっとり汗をかいてて、背中も汗でびっしょりだ。こんな真冬の寒い時期にこんなに汗をかくなんて。そして、香苗はこの夢がどのような意味を示唆しているのか、考える。どうしたって野菜を盗んだ罪悪感からこのような夢をみるのだろうと考えてしまう。だが、いくら考えてもはっきりと答えが出ることはない。あくまで夢は夢でしかない。
 しかし、今日の夢はいつもとは違った。今日の夢はいつもの夢の途中から始まったのだ。しかも、香苗は建物の中にいた。そう、香苗はいつも見ていたあの人影になっていたのだ。建物の中にいた香苗はひどく悲しい感情を胸に抱えていた。どうやらこの場所にいることが苦痛でしかないようだ。出たくて出たくてたまらない。そういった感情が彼女の心を埋め尽くしていた。ただ、何かそこを逃げてはいけない、そこから出てはいけない、そのような感情の縛りも同時に心にあった。誰かに厳しく言いつけられたのか、約束なのか。その場所から決して離れてはいけない、その思いも強く感情を支配していた。彼女はそのジレンマから激しい負の感情を作り出していた。出たいけど出れない。まるで、迷宮に迷い込んだように、そのジレンマは彼女を強く締め上げているようだった。そして、その葛藤からか、いつしか彼女は誰かがこの場所に来て、自分自身を助けだしてくれることを夢みるようになっていた。誰でもいい。誰か私を連れ出して。助けて。そして、彼女はひたすらその機会を待っていた。
 そんな思いで眠れない日々を過ごしていると、下からガサガサと草をかきわける音がする。もしかしたら誰かがこの建物に近づいているのかもしれない。私を助けに来てくれたのかもしれない。期待に胸を膨らますが、同時に不安も生まれる。私はもう何年もこの建物から出ていないし、人と話もしていない。私はうまく助けを請うことができるだろうか。私は今の自分の気持ちを正しく伝えられるだろうか。しかし、何年も待ちわびた機会なのだ。ずっと待っていたタイミングなのだ。そう思い立って、建物の唯一の窓をあける。ゆっくりと。月は雲に隠れ、月明かりは薄暗い。もともと薄暗い森の中だ。ようやく木々が判別できるくらいしか明るさがない。音のする方向をみると、何者かが草をかき分けて前へ進んでくる。影の形からやはりそれは人のようだ。よかった。ようやくこの建物の中から抜け出せるかもしれない。彼女は、小さな、しかししっかりとした声で呼びかける。

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