小説

『Rapunzel』友松哲也(『ラプンツェル』)

 意味がわからなかった。焦るとか焦らないとかそういった問題ではないのだ。香苗にとっては今やらなければいけないことであり、それは二人にとって極めて重要なことなのだ。だから、時間の問題でも何でもない。香苗は何も言えずに、その場に俯いた。
「隆史くんはいらないの?子供。」
「そういうことじゃない。わざわざ病院に行く必要がないって言ってるんだよ。」
 もう話しにならない。そう香苗は思って、もうこれ以上の話しはしないようにした。それからだった。香苗がお互いの距離感のようなものを考えるようになったのは。

 冷蔵庫をあけて、ポット型をした浄水器を取り出す。コップに注いだ水に冷蔵庫の光が反射して万華鏡のように見える。相変わらず足の裏は冷たくて、香苗の体温はゆっくりと奪われていく。コップを持ってソファまで歩く。暗くても外から入ってくる明かりでソファの場所は十分にわかる。それから水をようやく飲む。そういえば特にのどなんて乾いてなかった。なんで、リビングまで来たんだろう。そうやって、ソファの上に足をあげて、体育すわりみたく座る。そうだった。また、あの夢を見たんだ。いつものあの夢。
 あの時のことは、香苗も未だに心の整理ができていない。理由だけではない。あの時に浮かんできた感情も含めて、香苗自身うまく飲み込めてなかった。あの日は何の変哲もない、いつもの日だった。いつも通りマンションの廊下を自分の部屋のドアまで歩いていると、ふとプラスチックでできた大きなケースが目に入った。横に大きなロゴが入り、蓋には伝票のようなものが貼り付けてある。それは隣に住んでいる老夫婦が頼んでいる、宅配スーパーからの配達物だった。毎週一回、栄養士によって厳密にコントロールされた献立をもとに、必要な野菜や食材が自宅に届く。このサービスを利用すれば日々の献立に迷うこともなく、健康的な暮らしが手に入るというふれこみのものだ。老夫婦はこのマンションに入居した当初からそのサービスを利用しているらしく、毎週のようにそのケースは置いてあった。だから、そのケースは香苗にとっては見慣れた風景だった。うらやましいな、自然に言葉にでる。毎月の家計をなんとかやりくりしている香苗には頼みたくても頼めないサービスだ。箱の脇から緑の葉先が見えた。何かの野菜だろう。自分たちがこういったサービスが利用できるようになるのはいつになるだろうか。通院費だってバカにならないのだ。今はスーパーの安売りの食材で、何とか凌ぐしかない。どんなものが入っているんだろう。香苗は急に中身が気になった。どうせ無農薬で栽培された野菜やらブランドがつけられた牛肉が冷凍されて入っているんだろう。私たちには縁がないものだ。そう思いながらも、自然と手が動く。箱を開けてみると、中には様々な食材がぎっしりと詰められていた。豚肉、牛肉、卵、大根に人参、ほうれん草。なにせ一週間分だ。所狭しと食材が詰め込まれている。その中に見たことのないような葉物の野菜がひとつ入っていた。なんだろう。香苗は気になって手に取ってみた。ほうれん草とも小松菜とも違う。もっと小ぶりで葉は短く、土っぽく感じた。おそらくは海外の珍しい野菜なんだろう。私には関係ない、そう思ってそっとケースに戻そうとしたが、次の瞬間ある思いが頭に浮かんできた。

1 2 3 4 5