小説

『抜け小鈴』清水その字(古典落語『抜け雀』)

 部屋のホワイトボードに、磁石で写真を固定する。カッターで手早く鉛筆を削り、俺は彼の姿を、小鈴さんの傍に写していった。
 夜の更けるのも忘れて。



 朝日が差し込む寝室。携帯のアラームで飛び起き、即座に鞄を引っ掴む。そこにノートを片っ端から詰め込んでいるうちに、今日が休日だと気づいた。目覚まし代わりのアラームを切り忘れていたらしい。
 途端に気が抜けて、大きなあくびが出る。休みならもっと寝ていたい所だが、とりあえず顔でも洗おう。そう思って部屋を出かかったときだった。
「おはよう」
 爽やかな声で、後ろから呼び止められた。声の主が誰か、すぐに察しがつく。
 七つボタンの制服を来た青野さんが、凛々しい顔に笑みを浮かべて立っていた。傍に小鈴さんが寄り添っている。二人の後ろには机に置かれた、ただの古い画用紙が一枚。
「君のおかげで、やっと彼女と一緒になれた。ありがとう」
「本当に、ありがとうございます」
 小鈴さんも丁寧にお辞儀をする。俺の仕事は気に入ってもらえたようだが、寝間着姿でドタバタしていた直後にお礼を言われると恐縮してしまう。着物姿の美しい女の子と、描いた俺が言うのも何だが、詰襟の立派な制服を着た美青年が相手では尚更だ。
「図々しいと思うかもしれないが、もう一つ頼みを聞いてほしい」
 俺の心中を知ってか知らずか。青野さんは帽子を脱いで胸に当て、切り出してきた。
「何か、背景を描いてくれないか。そうすると、絵の中がとても居心地が良くなるから」
「背景……」
 ちらりと、二人の抜け出した紙を見やる。確かに何か描けるだけの余白は残っていた。
「それなら青野さん、あんたの絵を見てみたい」
 思い切って言ってみる。今の青野さんは俺が描いた絵だが、元々俺と同じ力を持っていた。小鈴さんの他にどんな絵を描くのか、是非見てみたい。
「道具は貸すから、街でも野山でも、自分で好きなように景色を……」
「いや、それは勘弁してくれ。後生だから」
 青野さんは言葉を遮った。

「もう『土木工事』はこりごりだ」

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