小説

『暇』佐藤(『桃太郎』)

 彼の家は井の頭公園から近いマンションの5階にあった。
 知らない人についていったらダメだ。北海道の母からそう言われていたが、面白そうなので部屋にはいった。 
 自分の出来心を恨んだ。四方の壁に謎の宗教の張り紙がある。恐怖で八つ橋の味がわからない。
 男は笑みを浮かべ「アンケートに答えてくれませんか?」と言う。素直に応じると、「アドレスも書いてくれませんか?」と畳み掛けてきた。
 怖いもの見たさで記入する。その日は呆気もなく、何事もなくバイバイした。
 3日後メールがきた。
 「キジさん。ワッフルを作りすぎたので、家にきませんか?」

 若い男が手招きしている。バイクのうしろに乗れと言う。
 水車しかない、と地球の歩き方に書いてるシリアのハマにいる。
 丘の上の公園でおろされる。ついてこい、と若い男は目線で私に合図する。宴会がはじまっていた。車座の中心の椅子に座らされる。
 どこからともなくヒマワリの種、チャイ、ハモスを持って人がくる。子供から老人まで必死になにか喋りかけてくる。
アラビア語はわからない。指差し会話帳で、ハマはいい場所だねと伝える。みんな笑顔になる。
 気づくと、子供たちが肩を揉んでくれている。うちわで扇いでくれる者もいる。老人はアイスを用意しれてくれている。
 たくさんの話しかける声が聞こえる。なにひとつわからない。
 遠くに水車がぐるぐるまわる。優しい人ばかりで目もまわる。
 食後のアラビックコーヒーがくる。飲む。熱い。やけどした。
  甘さが猿の舌にしみる。

 

 目の前に包丁を持った妻のアヤがいる。
 テレビからは国生さゆりのバレンタインデイキッスが流れる。明日はバレンタインデイなのか。
 アヤは怒っている。奇声をあげ追いかけてくる。ヤバイ。刺される。逃げよ。振り返り走る。階段でスネをぶつけたけど、恐怖で痛みを感じる暇もない。背後からは奇声が迫る。部屋に逃げこみ、ドアを閉める。
トントントントン。
2 本の包丁でドアノブを刻んでいるようだ。振動がドアノブから⼿に、手から 腕を通り、全⾝を震わせる。

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