小説

『蜘蛛の糸』anurito(『蜘蛛の糸』)

 王宮でも建ててやりたいところだったが、その材料に使えるような大木や大石が、極楽世界にはどこにも無かった。仕方ないので、小さな灌木や草花を寄せ集めて、こじんまりとした住居を作ってみたものの、それは、とても宮殿とは呼べそうになく、むしろ、みすぼらしいほったて小屋に見えてしまう始末なのであった。
 極楽の住人たちは、カンダタ王が命令すれば、出来る事でさえあれば、何でも世話してくれた。毎日の食事も用意してくれたし、移動する時にはカンダタを籠に乗せてくれたりもした。彼らは、嫌がる素振りも見せず、カンダタを恐れる様子もなく、何でも従ってくれた。
 しかし、やがてカンダタには、自分は王様と言うより、一人じゃ何も出来ない乳飲み子のようなものとして皆から扱われているのではないかと言う感じがしてきて、いばりちらして、無理に皆を付き従わせる事は、カンダタのプライドをよけい傷つけるようになりだしたのだった。
 カンダタは、もはや完全にどうすればいいかが分からなくなってしまっていた。王様であり、何をしても許されている立場だと言うのに、こんなに不幸せな気分なのは一体なぜなのであろう。
 ある日、カンダタは、一人で極楽の大地をぼんやりと散歩していた。今では、この土地のどこもかしこもが、カンダタは大嫌いになっていた。それこそ、あの恐ろしかった地獄以上にである。
 いつしか、彼は蓮の葉が浮かんだ池のそばにと通りかかっていた。彼はすでに忘れていたみたいだが、彼がかって地獄から登ってきた、あの池である。
 その池に目が向いた時、カンダタは蓮の葉に小さな蜘蛛がしがみついているのを見つけたのだった。
 途端に、カンダタの心には燃えるような怒りが込み上げてきた。彼は、その小さな蜘蛛目がけて、怒鳴った。
「全て、貴様のせいだ!そうだ、貴様がオレをこんな下らない世界に連れてきやがったんだ!こん畜生、この虫けらめ!おのれ、絶対に許さないぞ!」
 彼は、バシャバシャと池の中に歩き入っていった。そのまま、水面の蓮の葉の上にいた蜘蛛を摘み取って、握りつぶしてやろうとしたのである。
 しかし、この池の底は地獄につながっていた。次の瞬間、カンダタの体はずぶずぶと池の中に沈んでいき、まっすぐ地獄へと落ちていった。

 それから、しばらく経ったあと、カンダタが沈んでいった池のそばには、お釈迦様と普賢菩薩が立っていた。二人は、池の水面を通して、静かに地獄の様子を眺めていた。

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