小説

『ユートピアンの結末』和織(『浦島太郎』)

 変わらないのは、この浜辺と、ここから見える景色。そしてきっとまだこの街に残っているであろう、人間たちの、どうしようもない島への憧れ。浜辺で、自分と同じように島へ視線を向けている人々を見て、タケルはそう思う。彼が街について知っているのは、もうそれだけで、街の方は、彼のことなど覚えていない。彼は、曇りのない孤独を手にしていた。そうして、昔、何より欲していた筈のものを、もう一度同じ場所から見つめていると、涙が出てきた。もちろん後悔はしていない。初めてルカを見たときの感動は、どれだけ時が経っても、いつだって手に取るように思い出せる。白い顔の中に、光を携えた大きな瞳。完璧な形をした唇が動く様に、艶を帯びた黒い髪に、初めて目にする衝撃的な美に、全身で酔いしれた。島の人間を写真で見たことはあったけれど、そこに彼らの美しさは殆ど収められていなかったことが、実際に目にしてわかった。彼女に出会えたことも、島へ行ったことも、彼らに似た存在に、自分がなったことも、なければよかったとは思わない。だた、あの島での生活は、あまりにも平和だった。彼らは島に訪れるであろう全ての問題を予測し、それに完璧に対応する。あの島には不安がない。どれだけ経っても、土は枯れず、生きている者は、皆美しいまま。誰も争うことを知らない。元々穏やかな性格の持ち主であるタケルですら、ヘドが出るくらい平和なのだ。初めの数十年は良かった。タケルは夢の中にしかなかった筈の人生を得て、とても幸せだった。しかし徐々に、あの島を受け入れることができなくなっていった。どれだけ似せられたところで、結局タケルが彼らと同じものになることはなかったのだ。
 ルカの実験によって手に入れてしまった長い長い時間の中で、タケルはいつも、失った過去に苛まれていた。いつか忘れられるだろうと何度も考えたけれど、その長い長い時間を手にする為に捨ててしまったものが、真っ白な平和の中で前触れなく雪崩を起し、彼を沈めてしまう。そういうことが、ずっと繰り返されてきた。だから彼は、島を出ることを決めた。それをルカに伝えると、彼女はタケルに、あの黒い箱をプレゼントしてくれたのだ。
「ここに、あなたの一番欲しいものが入ってる」
 ルカはそう言っていた。そう言ったときの彼女の表情を、タケルはもう思い出せなかった。永遠というのは、「ただ在るもの」。それが輝いて見えるのは、その言葉に憧れることができるのは、有限の中でだけなのだ。それは狭間に落ちてしまった彼だから得られた、永遠の内側にも外側にもない答えだった。
 手の中で握りしめた黒い箱が、ゆっくりと開けられる。中には、小さなカプセルが入っていた。タケルはそれを取り出して、躊躇なく飲み込んだ。少しして、視界がぼやけ始めた。じわじわと重力に押される感覚。自分の手で掴んでいたもう一方の手が、痩せていくのがわかった。水分が減り、皺がよっていく。重さに耐えられなくなって倒れてしまうと、もう光は見えなくなった。与えられた終わりがその生に触れたとき、タケルはやけにほっとした。

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