小説

『かんからり』太郎吉野(『雪女』)

 「おじさん……」
 夜目にも蒼白い女の顔の中で、そこだけが血のように赤い唇が、狂おしげに動いた。
 女が、上半身をひねって、長い髪を「ばさり」と後ろに掻きあげた。そして、狭い後部シートをものともせず、赤いブラウスと白いスカートを器用に脱ぎ捨て、下着も手早くはぎ取る。

 闇の中に、女の裸身が蒼く光った。
 女の白い手がふわりと伸びて、青吉の無精ヒゲに覆われた頬の辺りを、すっと撫でる。
 その瞬間、青吉は「くおっ」と鼾を発したが、またすぐに元の規則的な寝息に戻った。
 女の頬に、優しげな微笑みが薄く浮かんだ。
 「ずっと一緒、ずっと、ずっと、一緒……」
 赤い唇で小さく呟きながら、女は、蒼い裸身を青吉にゆっくりと重ねていった。

 青吉が、また短い鼾を発した。
 海からの霧笛が、今度は遠く「ぼおおおお……」とこだました。
 谷筋を渡ってきた風が、黒い骨のようにも見える枯れ枝を、またもかんからか、かんからかと鳴らして過ぎた。

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