小説

『かんからり』太郎吉野(『雪女』)

 警察に届けるという選択肢は、警察は嫌いだしもとよりなかったが、なによりこの女が見つかってしまうと、せっかく見つけたねぐらがなくなってしまうことが怖くて、も一度トランクを開けて、女をどこか別の場所におっぽってしまおうかとも思ったが、あの「ずるずる」に手を触れることを考えると、とてもじゃないが「できねえ、できねえ」だし、増してそんなことをすれば万が一見つかったときには、自分に殺人の嫌疑がかかってくる……ことはないにしろ、何がしかの罪には問われるかもしれず、あのままにしておけば仮に見つかったとしても「知らなかった」で押し通すこともできる……とそこまで考えて、取り敢えずは「隣室」での同居を決め込んだのであった。
 少々臭かろうが気味悪かろうが、あの地下街の固くて冷たい寝床に比べると、ここはまさに天国なのだった。

 寒さが厳しくなってからは、その寒さの冷蔵庫効果のゆえか、あるいは腐乱が最終段階にまで進み微生物がその活動を終えたのか、またあるいは青吉の鼻が臭いに馴れてバカになったゆえか、トランクからの臭いは消えていた。
 そうなってみると、青吉には、この隣人の存在が、ときとしてしみじみと愛しくもさえ、思えてくるのであった。
 なによりその隣人は、「一応は、女、だしな……」とも思うのである。

 「なあ、お隣さん……」
 なお上機嫌で隣人の女に、今日あった出来事の一応を喋ってしまって、ふと黙り込むと、青吉の頭の中に「すいっ」と、いつもの不安やら焦燥やら恐怖やら後悔やら毒やら鬼やら……が、なだれをうったように流れ込んできた。

 寝るのが一番、寝るのが一番……

 言葉には出さずに呟いて、かけ布団替わりのコートを頭から引っ被り目を閉じる刹那、後部のトランクに向かって「おやすみ」と、こちらも言葉にはせず心の中でだけ呟いて数分後、青吉は85年式ニッサン・グロリアの助手席で、かすかな寝息をたてていた。

 風が吹いて、冬枯れの木々の枝をかんからからりと鳴らしていた。
 雲がかかって月が隠れると、闇がまた濃くなった。
 麓の海港から、「ぼお…」「ぼおおおお…」と立て続けに、むせぶような霧笛が響いて谷間にこだまする。
 女は、ローレルの後部席に座って、リクライニングした助手席で、時折「くおっ」と間歇的な鼾を発して眠る青吉を見下ろしていた。

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