小説

『晦日恋草』霜月透子(『好色五人女』巻四 恋草からげし八百屋物語)

 笑うところじゃないだろう。自分の店でしょ。
「息子にきつく言って聞かせます。ただ、もし、万が一またなにかしでかしましたら、ご連絡ください」
 私は長机に無造作に置かれているメモ帳とペンを手元に引き寄せると、携帯番号を記した。
「いや、もうないと思いますよ」
 小野さんはなんの根拠もないことを言いながらもメモを受け取る。そしてちらりと目を落としてから、私の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「念のためお名前も」
 私が「八尾」と書いて再び渡そうとすると、「下のお名前も」という。息子のだろうか、私のだろうかと迷っていると、「貴女のを」と言う。その「貴女」の言い方が妙に艶めかしく感じられて、耳元がカッと熱くなる。それに気付かれないように深く俯いて「七(なな)」と下の名前を書いた。
 メモを渡すのと引き換えに名刺を渡される。店長の肩書と小野朗の名前。文字を目で追う。
 おの……「あきら」。
 何の気なしに名前部分だけ声に出してしまう。
「はい」
 小野さんが返事をした。反射的なものだろう。
「あ。すみません。歳をとるといけませんね。すぐ思ったことが声になっちゃって」
「歳をとるとなんて。まだお若いでしょうに」
 お決まりの美辞麗句。
「若いはずないじゃないですか、高校生の息子がいるんですよ?」
 笑って答えながらも鼓動が早まるのを感じる。いやだ、私ってば。こんな社交辞令に。こんな子供相手に。
「……おいくつですか?」
 小野さんが尋ねる。失礼な質問、だとは思わなかった。小野さんが真顔だったから。
「四十六……です」
 四十代に入った頃から年齢に対する抵抗感はぐんと軽くなった。開き直りとでもいうのだろうか。なのに、今は「四十六」の数字が恨めしかった。
「僕は三十です」
 小野さんが静かに呟く。
 三十歳……。若い。瞬時に自分との年齢差を計算する。十六歳。

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