小説

『亀の角兵衛』NOBUOTTO(『浦島太郎』)

「何ひとつ不自由がない竜宮城で、それも絶世の美人の私と毎日遊んで暮らせることの、一体どこが不満なの」
 乙姫の白いしなやかな手がまたいくつもの花瓶を壁になげつけた。
「このヒステリーさえなければ、心身完璧な美人なんだが、海神様も二物を与えずか…」
 割れた花瓶のかけらを拾いつつ「乙姫様、もうお諦めになった方がよいかと思います。私がまた地上でいい若者を探してまいりますから」と角兵衛が言うと、「浦島様じゃなきゃだめなの。あの丹精な顔立ちとほがらかな性格そして話し上手。浦島様みたいな方はこの世に、いえこれから先にも二人といないわ。あーどうしようどうしよう」
 乙姫は御殿の中をぐるぐると飛び周り始めた。乙姫は感情が高ぶった時、また何か考え事をする時にはいつも金の衣をなびかせて御殿の中を舞う。巻物に描かれた綺羅びやかな絵のようではあるが、大概良からぬ結果が待っていることを角兵衛は知っていた。
 乙姫が舞い降りた時、その手には玉手箱があった。乙姫は穏やかな顔に戻っていた。角兵衛は嫌な予感がした。乙姫は角兵衛を呼び寄せて耳打ちした。角兵衛は話を聞きながら「それはそれは身勝手な。私の性格上そうしたことは。」と小さい声で愚痴をこぼす。
「角兵衛何ぶつぶつ言ってるの。わかりましたね。」
 と言い、今度は気持ちよさそうに乙姫は御殿を舞うのであった。
 気の乗らぬ指令を受け、重い足取りで竜宮宴会場に這って行く角兵衛の前に死んだ父角太郎が現れた。
「いつも済まんなあ。竜宮に来た時は、ああも怒りっぽい性格じゃなかったんだがなあ。そりゃあお前、人間とは思えぬ美しさでな。なんでかなあ。寂しんかなあ」
「はいはい。その話は何度も聞いてますから、ゆっくり死んでて下さい」
 父角太郎の中をゆっくり通りすぎ、角兵衛は竜宮宴会場へ向かった。

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