小説

『それぞれの密』柿沼雅美(谷崎潤一郎『秘密』)

 目隠しの闇からだと視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていく。いつものように肌触りのいいコットンで自分は顔を撫でられ、化粧がゆるりと落ちていくのが分かる。すぅっとひんやりとしたまっさらな肌に、真唯子の手のひらが触れると、そのままベッドに倒れた。真唯子も無言のまま、人魚のように体を崩して擦り寄り、上半身をもたせて自分の上に重なった。
 昔お別れしてから妙にあなたのことは忘れられなかった、と真唯子が汗ばんだ胸をくっつけて言う。力の抜けきった自分は、だったら少しでいいからこの目隠しを取ってくれないかと言った。真唯子は、それは無理よ、と答えて、どんな女かどんな境遇かどんな場所か分からないまま夢のような女だと思っていて、と耳元で続けた。
 人の「秘密」は軽々とひん剥いたくせに真唯子は口をほどかないのか、と聞くと、夢は覚めたら忘れられちゃうもの、と寂しそうな口調で言った。じゃあ景色だけでも構わない、窓の外の夜の空だけでもいいから見せてくれないか、と聞くと、少し間を置いて、真唯子は目隠しを緩めてくれた。ベランダの窓からは、いくつかのマンションの明かりが点々としていた。窓に映る部屋はシーツの流線型ばかり映り、真唯子は自分の身体の後ろにすっぽりと隠れていた。ただひとつ、広告で見たことのあるような建って間もないタワーマンションがすぐそばに見えていた。
 再び目隠しをされ、真唯子が鞄を開けて自分のジャージを取り出している音がする。そのまま着替えさせられ、手を引かれるままコンクリートの冷たさを感じる階段を降り、待っていたタクシーにまた押しこめられた。
 真唯子は隣で、自分の家の最寄駅を伝え、近くなると途中で降りていった。自分は急いで目隠しを取ってみても、真唯子はタクシーに背を向けていて、ただ遠ざかるばかりだった。

 博隆が週に何度か夜に出かけていることはずっと知っている。知っているけれど、だから私がどうこうしたいなんてことは全くなかった。興味がないというよりも、それに構うより明日の家事やブログ更新や肌とむくみやすい足のために早くひとりでゆっくり眠りたかった。
朝、博隆と英美が外出して、やっと私らしい一日がはじまる気がする。

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