小説

『それぞれの密』柿沼雅美(谷崎潤一郎『秘密』)

 自分は最初から、渋谷だの大久保だのという場所よりも、かえって都内でありながら人の心附かない、不思議なさびれたところがあるだろうと思っていた。ちょうど瀬の早い渓川のところどころに、澱んだ淵ができるように、下町の雑沓する巷と巷の間に挟まりながら、極めて特殊の場合か、特殊の人でもなければめったに通行しないような閑静な一郭が、なければなるまいと思っていた。
 寺の宗旨が「秘密」とか「禁厭」とか「呪詛」とかいうものに縁の深い真言宗であることも好奇心を誘っていた。物置の隣の雨戸が空いているときには、部屋の中を覗くこともできた。部屋は新しく建て増しした庫裡の一部で、南を向いた八畳敷きの、日に焼けて少し茶色がかっている畳が、かえって見た眼には安らかな暖かい感じを与えた。昼過ぎに来たときには、和やかな秋や凛とした冬の日が、幻燈の如くあかあかと縁側の障子に燃えて、室内は大きな雪洞のように明るかった。
 境内に入ると、風の音だけが響いていて、人影もないのに何かが或るような気配が漂っていた。物置に着くまでに、日常では聞こえてこないような、小枝を踏むピシッとした音、葉がコートに擦れて葉脈の乾きが増していくような音が耳に入ってきた。
 財布の中から物置の南京錠用の鍵を取出し、穴に差し込む。指先に南京錠の表面からキンとした冷たさが伝わってくる。ガコッと木造の物置の引き戸を片方だけ開け中へ入り、戸を閉めた。内壁にひっかけておいている懐中電灯を付けると、パァアアっと放射状に黄色い光が中を照らした。おそらく何も知らない人が物置を今外から見たら、竹から姫君が出てくるような奇跡的な現象に見えるのだろうと思う。
 キャリーケースを横にして、中から黒色のロングコートと3Lサイズのタイツ、裾が広がるデザインのワンピース、競泳用水着を取り出した。本来ならば下着も女性ものがいいのだが、一度通販で注文して履いてみたところ、レースがあしらわれているところから毛がはみ出したり、足の付け根の肉にVの跡が残ってしまったので泣く泣く諦めたのだった。しかしながらトランクスではいくら大きいサイズのタイツとはいえ、もたつきが尋常じゃなく気になり、一番落ち着いたのが競泳用の水着であった。少しキツイ気もするが、局部を適度に締め付けるため服に体が大きく響かず、つるんとした素材も服を選ばず、今のように寒い時期には風を通さずにちょうどいい。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12