小説

『それぞれの密』柿沼雅美(谷崎潤一郎『秘密』)

 最初に真唯子に会ったのは、7年前だった。仕事で行ったタイで、川を船で渡ったときに同じ船に乗り合わせた。その時に30歳くらいだった真唯子は、友人数人と一緒にいて、観光客や地元の人間に紛れることなく、自分の視界にずっと留めておきたい気持ちにさせられた。異国というシチュエーションもあってか、自分と真唯子はそれから数週間して深い仲になっていた。ただ、自分はその後に何も言わず、日本へ帰国していたのだった。
 帰国して6年たち、寺に倉庫を借りて、「秘密」をまとっていた自分が、また真唯子と出会ったのは3か月前だった。新宿の街を歩いていた頃、若者で五月蠅い通りに真唯子がいた。真唯子にはすっかり姿の変わっている自分に気づくまいと思う安心が伴って、自分は真唯子の隣を人二人分空けて歩いた。
 気づかれたいのか何なのか分からないがその翌週も淡い期待を持って向かったところ、真唯子はやはりいた。信号待ちをする自分に酔った調子の真唯子が一度ぶつかり、他人にするのと同じように謝り、早足で歩いて行った。その日の終電後、トレンチコートのポケットから真唯子の連絡先が書かれた紙が入っていたのだった。
 化粧するのに時間かかるでしょう? マフラーで顔隠して来ればいいのに、と真唯子は見上げて笑った。色のない唇が月だけの明かりの中で艶めいた。
 顏隠したら身長くらいしか僕の見分けができないじゃないか、と言うと、真唯子は、顔が隠れてたって声が聞こえなくたってあなたのことは分かるの、と言った。
 真唯子がいつも通りタクシーを止め、自分を押し入れるように乗る。真唯子は運転手にスマホの画面を見せて行く先を伝え、バッグからてぬぐいを取り出す。真唯子は首に腕をまわして抱き着くような体勢になり、自分はされるままに真唯子に目隠しをされた。
 目隠しのままタクシーを降り、真唯子に手を引かれるまま階段を上がる。重いドアが閉まる音がし、真唯子が後ろで背中に手を添えながら一緒に上がっているところを見ると、マンションの外階段であるような気がする。最初に連れてこられてから見えないながらも毎回同じ場所であるように感じる。
 真唯子が玄関の鍵を開け、自分の身体が室内に押しこめられる。両足を擦り合わせるように靴を脱ぎ、真唯子に手を引かれるまま寝室へ向かう。背後で引き戸が閉まる音がして、真唯子が目隠しの結び目をさらに強めた。腕が頬にあたり、真唯子がもう服をまとっていないことが分かる。

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