小説

『川からの物体M』大前粟生(『桃太郎』)

「あ、わすれてた。きびだんごだ。順番が逆だけど、ないといけないよなぁ」
「奥さん、きびだんご持ってない?」桃太郎は街ゆく人びとに聞いていく。
「ちょっとすいません。きびだんご持ってないですか? 僕とても困ってるんですよ」
「あのー、ちょっと今お時間あります? 簡単なアンケートなんですけどぉ」
「きびだんごって、すばらしいと思いません?」
「時はきた。我にきびだんごを与えたまえ」
「マイナンバーを僕に教えてくれたら、あなたにタダで僕にきびだんごを与える権利をさしあげましょう」
 いくら声をかけようともだれひとりとしてきびだんごを持っていないし、だれも桃太郎の質問に答えない。目も合わさない。桃に目はないのだけれども。
「ひとりひとり話しかけてちゃ、時間かかっちゃうなぁ」と桃太郎が自分にいったあと、すさまじく息を吸っていう。
「き! び! だ! ん! ご! もって! いる! 人! いますか!?」
 桃太郎が大声で叫んだものだから、この辺り一帯のガラスというガラスが割れてしまう。警報装置や車のクラクションや悲鳴が満ち、パトカーや救急車のサイレンがけたたましく鳴り響いているが、鼓膜が破れてしまったのでオムツを買いに街まで出てきたおじいさんとおばあさんには聞こえない。ペットショップのガラスケースはすべて割れて犬猫の類いが群れのように押し寄せてきて、猿とか犬とか雉とかと混じり合う。
 と、ひとりの最近の若者が桃太郎に話しかけてくる。
「お兄さん、きびだんご欲しいの? へへ」
 最近の若者は耳にイヤホンをしているので鼓膜が破れなかったのだ。
「そうなんだよ」と桃太郎がいう。
「ついてきな」
 最近の若者なので痩せこけてふらふらとしてちょっとやばそうな最近の若者は目の焦点がろくにあっていないので桃太郎のことも他のあれこれと同じように幻覚の一種だろうと思っていて、最近の若者は薄暗い路地に桃太郎を連れ込む。
「ほれ、これ」最近の若者はラップに包まれたきびだんごを桃太郎に差し出す。
「そうだな。あんたの連れてる犬とかと交換でいいよ。最近、煮込み料理にはまってんだ」

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