小説

『猫の記憶』柿沼雅美(『黒猫』)

 何日たっても麻美のまわりは何もない日々が訪れ、どう考えても幹久はいなかった。それなのに、幹久が死んだのがいつまでも分からなくて、麻美はネコのルルを抱きしめて泣いた。

 2016年1月、今日、麻美は聡のことを考えていた。
 数日前まで一緒に寝ていた聡が、家族と海外の海辺で過ごしている映像が浮かんだ。
 昼にコーヒーとサンドイッチを買いに出たカフェで、斜め前に座った読者モデルのような女子大生が友達の話をしていて、真美ってかわいくないよね、里奈ってどんだけお金に困ったんだろ、清香は頭いいからいいじゃん由香バカだから、やっぱそれ浮気じゃん、と次々と言っているのを聞いて、そっか、浮気か、と思った。
 ソファーにサンドイッチのくずが落ちて、買って来たコーヒーが冷めて、麻美のなかの麻美が、孤独になるよ、と自問自答をはじめる。麻美のなかの麻美に、もうずっと孤独じゃん、と、なんてことないように答える。答えながら、目と目の間がギュっと痛くなる。好きと愛してるが溢れてきて言いたくて、出かかる言葉が喉を締め付ける。麻美は、鼻をすすりながら泣いた。
 ルルの声が小さく聞こえて、あっ、また閉じ込めちゃってたのか、と気がつく。麻美は急いでクローゼットの両扉に手をかける。クローゼットが開くと同時に、ぬいぐるみとルルが頭上から降ってきた。恋が終わるたびになぜか買ってしまうぬいぐるみが、麻美の顔に落ちてくる。
 ホコリの匂いを残して、ふわふわとした過去が頬に当たって落ちて行く。ルルが麻美の胸元に飛びこみ、温かい舌で頬を舐める。
 いつかの未来だったはずの今年はどんな楽しいことがあってどれだけ寂しく悲しいことがあるんだろう、と思う。ちょっと、幸せの温度を感じられますように、と麻美はルルを撫でた。

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