小説

『桃産』大前粟生(『桃太郎』)

「ほら、ここにいるんだよ。触ってみる?」私がそういうと、リビングからサキさんが「やめなさい!」といって、こちらにやってきた。「タロウ、なにしてんの!?」
「あ、いや、私が、『お腹触ってみる?』って、タロウくんに」
「やめてください! もしものことがあったらどうするんですか!? タロウは障害を持っているんですよ? 障害を持っている桃に、そんな、そんなこと」サキさんはくずおれてタロウくんを抱きしめた。
 私はなにもいえなかった。

〈障害のある桃は桃が肥大してしまう。そのため、体を横にしないとたいていの入口を通れない〉〈トイレが大変〉〈椅子や机も、肥大した桃のために特注のものを作らないといけない〉〈すぐに皮がめくれる〉〈坂道では重心をうまくとらないとすぐに転ぶ〉〈蟻がたかりがち〉〈うまく泳げない〉
 家に帰ってからネットで調べてみると、障害を持つ桃のさまざまな困難なケースが目に飛び込んできた。
「大変だなぁ」と横からモニターを覗き込んで夫がいった。
「そうだね」大変なことだけど、かわいそうなことだとは思えなかった。障害のある桃をはじめて見てみて、私の心に残った一番大きな感情は〈かわいい〉だった。それって、不謹慎なことなのかもしれない。でも、私は確かにそう思ったのだ。〈普通の〉桃に接するように、かわいいと思ってタロウくんに接したのに、どうして私は怒鳴られなければいけなかったのだろうか。サキさんは私のことを誤解している。サキさんに私の正直な気持ちを伝えた方がいいかもしれないと思って、長いメールを書いてみたけど、それは私とサキさんの間にある途方もなく分厚い壁の前では無力のようで、一層壁を厚くしてしまうかもしれなくて、結局、メールは送らないまま、それからサキさんには会っていない。

「どんぶらこ! どんぶらこ! あぁ、あなたのは全然だめ。もっとこう、どんぶらこ!どんぶらこ! ってしなきゃ。あなたのは、どんぶらこ。どんぶらこ。って感じ」
 妊婦たちが仰向けになって膝を立てながら〈どんぶら呼吸法〉の練習をしている。私のお腹はずいぶん大きくなり、本格的に桃産に備えるようになってきた。「どんぶらこ! どんぶらこ!」「どんぶらこ! どんぶらこ!」隣でエリカさんがはりきっている。カオリさんはすでに桃産を終えてしまった。元気でかわいい桃だった。サキさんの桃葬から、私たちはなんとなくぎこちない気がする。でも、それももうすぐ終わるのだろう。何度となく開かれてきた妊婦会も、サキさんやカオリさんがそうであったように、妊婦でなくなればもう開かれることはない。汗が染み込んだこのジムとも、もうすぐお別れだ。

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