小説

『桃産』大前粟生(『桃太郎』)

「お母さん、次の一回でもう、産んじゃいましょう! はい、いくよー。せーの!」
 目の前が真っ白になった。何年分もの便秘が一気に解消されたように体の力がすっと抜けるのを感じた。あんまり力が抜けすぎて、私は分娩台にどろどろに溶けてしまって、もう桃には会えないんじゃないかと思った。耳も遠くなって、痛みがまだあるにもかかわらず強烈なまどろみだった。横を見ると、助産師さんが桃の背中を必死でさすっていた。
「おめでとうございます。泣きましたよぉ」と助産師さんはいって、分娩室の空気がふっとゆるまるのがわかったけど、私には桃の泣き声は少しも聞こえなかった。
「お母さん、見てください。元気な桃ですよぉ」
 桃が、あのパンフレットみたいにガーゼにくるまれて、寝そべる私の横に並べられた。あぁ、かわいい。本当にかわいい、私の桃。
桃はどこかに運ばれていって、少しして夫が入ってきた。
「はは、だれ」私は分娩室用のマスクや帽子を被った夫を見ていった。
「おめでとう。おめでとう」夫は私の手を握った。
「おめでとうございます」先生や助産師さんたちが半笑いながらいって、私の目からは涙が流れた。
「桃に、会えます?」と私が聞くと、「桃ちゃんは大丈夫だから、その前にお母さん少しねむりましょう。ね?」と助産師さんがいった。
 起きると、椅子に座って夫がねむっていた。
「ミカ、起きたのね」
「あ、きてたんだ、お母さん。お父さんもお義母さんもお義父さんも」いつのまにか私は病院のベッドの上にいて、外は暗くなっていた。
 私は車椅子に乗って、みんなでいっしょに桃に会いにいった。
 その部屋のなかにはたくさんの桃がいて、なかには人工呼吸器を取り付けられた桃もいたけど、どれが私の桃か、すぐにわかった。
「うわー。丸っこい」
「初桃、やっぱりかわいいな」
「ここの産毛なんてつやつや」
「瑞々しくてかわいい」
 お母さんとお父さんとお義母さんとお義父さんがそういうのを見て、夫はとてもうれしそうだった。
「うん。母桃ともに健康のようだし、さっそく切ってみたらいいんじゃないかな」と先生がいった。助産師さんもうなずいた。障害はないみたいだった。

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