小説

『悪鬼』田向秋沙(『長谷雄草紙』)

「さて始めましょう。なに、禁令などと言っても形だけのこと。誰もが陰に隠れて禁制破りの双六に耽っているのは周知の事実。ここの暗闇は一等安心とは思いませんか。朱雀門は善悪の境界。ここには善も悪もありはせぬ。ただ賭事の愉しみがあるばかり」
 男はそう言って振り筒から骰子を二つ取り出すと、その内の一つを季雄に渡した。
「本意ではないが、しかとお受け致そう。ここに至って退く訳にもまいるまい」
 同時に骰子を転がし、目を確かめると季雄は五の目、男は三の目が出て、季雄が黒石を持つことになった。
 こうして一夜の双六が始まった。季雄は振り筒を手に取ると左手で二つの骰子を拾い上げた。久しぶりの感触が掌から脳髄にまで駆け上がるようで、心が踊った。骰子は筒の中でかちかちと音を立てて混じり合う。それを双六盤の横に用意した晒しの布の上にばら撒ける。目が決まるまでの無心、目が定まってからの喜怒が季雄の心身に沁みついた快楽であった。出た目の数だけ黒石を進めると、次の振り番が待ちきれない思いで、対座する男の振り様を見つめるのだった。この単純な繰り返しの中に双六の醍醐味があった。骰子を転がし、石を進める一連の動作の中で、理性の働く余地はなく、時が過ぎ行くままの忘我と一体となって震える情動だけが湧き上がる。十五個の石はまるで軍馬のようにして、十二区画のます目を進み、端側のます目を目指す。その動きのなんとじれったいことか。決して訓練の行き届いた軍馬などではない。鞭を打って前進させなければならないのである。上手い具合に目が出て綺麗に最後のます目に納まれば良いのだが、目の数が多く出ると時には後退しなければならなくなる。季雄はこのような後退を頗る嫌っていた。だから、ひとつの後退もなく勝負に勝つのが最上の勝ち方と心得ていた。このような勝ち方をしたとき、季雄の陶酔は極みに達するのだった。
 さて勝負の方は、最初の内は一進一退の繰り返しだったのだが、夜も更けると共に勝ち目は季雄の方へと靡いてくるようだった。秋の夜長を奏でる虫の音などは、目に見えない帳に遮られ、楼上の中に忍び入る気配すらもなかった。形勢の悪くなるたびに、男の顔色は次第に朱に染まり色を濃くしていった。
 そして少しずつではあったが、薄い縞模様のついた牙が伸び出して、昂奮の度合いと相まって、頭上の烏帽子を振るい落とすのだった。鬼が正体を現すごとに、楼上の中の蝋燭はひとつまたひとつと増えてゆき、鬼の荒れる心根を照らしてゆくかのようだった。
 季雄は鬼の形相を見ても案外に平気であった。なまじの人間よりも鬼の方が賭事の相手として安心を覚えていた。変貌する男の形相は見るにつけ不気味な様ではあったが、相手が鬼ならば禁令を犯すことにはなるまいと、心の内で手前勝手に了解していたのだ。禁令はあくまでも人と人との行為を禁じたもので、この度の賭事については、たとえ公然となったにしても適用の外にあると、良いように解釈したのである。

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