小説

『悪鬼』田向秋沙(『長谷雄草紙』)

 鬼は負けが込んで、今は完璧な鬼の姿となっていた。暁闇のなか十数本に増えていた蝋燭の灯りも、やがて燃え尽きようとしていた。
 勝負は季雄の圧勝であった。これまで経験したこともないような勝ちぶりだった。
「さて、なんとする。双六も終わりということで異論はあるまい。人の振りをして、勝負を挑もうなどとは戯けの鬼よ。鬼なら鬼同志、洛外の山中にでも紛れて戯れていればいいものを。朱雀門に住み着くなどはもってのほか」
 季雄はひと睨みすると、凄みを利かせて先を続けた。
「相手が鬼といえども勝負は勝負。勝ち負けの落とし前は、きっちりと付けてもらわねばなるまい。さあ、どのようにして払いを済ます気か?」
 季雄の強気の言葉に鬼は怯んだ。負けたことの悔しさと鬼の形相をすっかり曝け出してしまったことに対する忸怩たる思いがあった。
 鬼は心の縛りを解いて素直に負けを認めた。
「きさまはひとり身であろう。さすれば女人をくれてやろう。きさま好みの女人であるはず」
 鬼は手を打って楼上の片隅を見やった。釣られて季雄も鬼の視線の先を振り返った。暗闇の中から浮かび上がる輪郭が次第に形を成して、白い着物姿の娘となって近づいて来るのだった。娘は鬼の横に力の抜けたように跪いた。微かに覗く眦は憂いを帯びて、薄く閉じる瞼が振るえているように見えた、鬢のほつれ毛が僅かに残った蝋燭の炎とともに揺れているようだった。
「いかがか。この女人をくれてやろう。文句などあるまい」
 なるほど見れば見るほど、この娘には美しさの貴賓があった。しかしそれは未だ不完全の美しさであった。何かが足らないと思いはするが、その何かがまるで見当がつかない。ただ見とれる儘に季雄は、息を呑んだ。いずれにしろ双六の払いにこの娘ならば出来過ぎというものである。
 しかしあらたまって考えてみるに、はたしてこの娘が人といえるのかどうか一抹の不安を覚えた。
「この娘は鬼の化身ではないのか。鬼を娶っては、物笑いにも程がある。おれを誑かそうとしているのではないか。なるほど見た目には美しい。だがこのような娘がお前のような鬼の傍らにいるのは解せない」
 鬼は心に余裕を取り戻して季雄を見つめた。
「疑り深いのはいいことじゃ。鬼の言うことなど信ぜぬ方がよかろう。だが、その鬼相手に賭事を行ったのはどこのどいつじゃ。そもそも鬼を禁制の賭事で打ち負かすなどは、最低の仕儀ではないか。犬畜生にも劣る極悪の振る舞いではないか。そのようなお主が今さら何を疑おうというのだ」
 鬼はひと睨み利かせると息を吐いた。

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