小説

『悪鬼』田向秋沙(『長谷雄草紙』)

「お主が信じようと信じまいと、勝手ながら、鬼にも鬼なりの矜持があることを覚えておくがいい。この女人は断じて鬼の化身などではない。が、しかしただひとつだけ約束事がある。今後、百日経つまでこの女人に手を触れてはいけない。守るのはそのことだけよ。それだけを心して、さあ、連れて行け」
 このような成り行きを経て、季雄は娘を伴い明け方の朱雀大路を南に下った。娘は歩き慣れていないかのように重い足取りで季雄に従った。時おり枯葉が風に舞って振り落ちる。途中振り返り朱雀門を見上げたとき、格子を通して、あの鬼の憤怒の眼差しが見えるような気がした。
 娘は家内の賄い事を卒なく熟すようになった。当初は口を利くこともなく身動きも鈍かったのだが、季雄と暮らすうちに言葉を発し身体の関節なども滑らかに作用して、あたかも赤子が急速に成長していくような塩梅であった。
 見た目の美貌に人の魂が少しずつ籠っていくような充実があった。鬼の化身ではないにしても、真の人間なのかという疑いは常にあった。しかし当初抱いた娘に対する違和感は次第に解れ、季雄の情欲は高まっていくばかりだった。
 季雄は娘と暮らすようになってから、不思議と賭事に対する執着を失っていた。ひと夜に及ぶ鬼との双六の熱狂はすっかりと醒め、今は娘に向かう情念だけが心の奥に蟠っているのだった。衝立一枚隔てて眠る娘の気配を感じながら、幾夜とも眠れぬままに朝を迎えた。朧な頭の中で、娘の白い肌を思って白昼の夢に浸ることもあった。
 鬼の言葉が足枷となっていた。百日経つまでは手を触れてはならぬという戒めが、重石となって季雄の自由を圧迫していた。夜には衝立の向こう側を思い、日中にあっては、家内に潜む娘の有様を想像し、妄想は徐々に膨らみを大きくして季雄の周囲を取り巻いていた。
 心の鎮めにと、顔馴染みの法師から教わった経文を唱え、膝を組んで無想の行を試すこともあった。しかし目を開ければ、眼前には娘の姿がある。膝を折って傅く娘の色香に、心の糸が乱れる。惑乱の渦に揉まれて、季雄は過ぎゆく月日の遅滞を嘆いてばかりいた。
 こうして八十日ほどが経った。それまで季雄は耐えていた。鬼の言う通りに、娘に触れることなく、同じ屋根の下で過ごしてきた。季雄は考えた。初めの内こそ、言葉を発せず、ぎこちない動作の事訳は、鬼の傍にいた何がしかの事情のせいだと予測がついたが、いま目の前にいるこの娘はまぎれもない妖艶な人の子といえる。俺と同じ言葉を話し、雅な腰つきで家事をこなすようになった。それは、俺との生活の中で培われた成果なのだ。俺が育てたも同然の娘なのだ。心の内まで見通せる訳ではないが、何、それがどうしたというのだ。今この娘を所有するのは俺自身であって、鬼ではない。何故に百日抱いてはならぬと申したものか。それは単なる鬼の負けた腹いせに過ぎないのではないか。娘にしたって、近頃の瞳の妖しい輝きは尋常ではない。思いは同一ということではないのか。さすれば何の咎めなどもあろうはずもない。

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