小説

『金太郎の恋』露風真(『今昔物語』)

 ある日、頼光は金時に姫への手紙をことづけた。そして大事な手紙であるから姫に直接手渡すようにと言い渡した。手紙を受け取った金時の手は震えていた。武者震い、そう正しく千人の敵を前にした時のような武者震いを覚えた。
 姫の屋形へ向かっている間は、恋しい人と会えるうれしさで胸がいっぱいだったが、屋形の門が見えてくると胸の中に冷たい秋風が吹き込むような気がする。どうやら風は門から吹き出しているようだ。門をくぐった時には、一瞬、頭から冷水を浴びたような気がした。
 金時は庭を通って姫のいる建物に向かった。歩くたびに冷めた血が再び沸き上がって頭の中を駆けまわる。熱き血潮はついに決心した。姫が欲しい。
 金時が建物の縁まで行くと、さっそく姫に仕えている女が出てきた。
 「何のご用向きでございますか」女は金時の様子をうかがいつつ尋ねた。
 「殿様からの手紙を持参しました。言伝もあるので姫君にお取次願いたい」
 女は金時の真っ赤な顔をチラッと見ると、皮肉な笑いを浮かべながら部屋の奥へと消えた。
 しばらくして姫が縁側に出て来たので、金時はいっそう顔を赤くしながらぎこちない手つきで手紙を渡した。そして吃りながら頼光の伝言を言った。
 夕暮れ時である。日は光を弱めながら赤みがかって行く。姫の透きとおった白い顔が夕日で赤く染まっている。姫の立っているえん遣戸やりど透垣すいがきも金時の顔のように赤く染まった。
 金時は幻を見た。何万もの大木、うっそうとした山々、澄んだ渓流の傍らに建つ小さい屋敷。質素だが小奇麗な室内で笑顔で語り合う姫と自分。
 金時は幻を見た。この姫と一緒になれずに焦がれ死ぬのなら、今ここで姫をさらい故郷の東国の山中で暮らそう。金時は縁に跳び上がると姫を抱きかかえて屋形を走り出た。そのまま門の外に繋いでいた愛馬にまたがると、夕日の消えかかった都大路を疾走した。馬は都を出るとひたすら東に向かった。
 背後の姫の消えた都は日の光を失い、百鬼夜行の闇に包まれていた。

 数日後、都では頼光の姫君が鬼にさらわれたという噂が流れた。その後、渡辺綱が一条戻橋で鬼を切った噂がまことしやかに広まった。当の綱は頼光から、姫はさる大納言のところへ片付いたと、聞き悔しがった。その後、姫への恋は身分違いの幻であったとあきらめた。
 卜部季武は金時に出し抜かれたと思い、金時を憎み彼の所業を都中に流した。
 だが、京童たちは幻でも見たのだろうと言い、信じる者はなかった。

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