小説

『金太郎の恋』露風真(『今昔物語』)

 金時は気まりが悪くなり、扇で顔を隠そうとしたが扇がない。恥ずかしさのあまりうつむくと、地べたに扇が転がっている。あわててそれを拾うと顔に押し当て烏帽子を目の下まで深く被り、顔を隠してしまった。
 取り巻いていた人々は三人の顔が見られないので、次第に行列見物のほうに興味が移って行き、最後は誰も三人には見向かなくなった。
 その頃になっても三人の車酔いはおさまらないので、あいかわらず地べたにあぐらをかいたままであった。行列の見物は見物人のすき間からほんの少し垣間見えるだけである。ましてや着飾った姫君たちをじっくり見物するなど不可能である。そのうち瞼が重くなり睡魔に襲われてそのまま眠ってしまった。
 三人が目を覚ましたのは行列が通り過ぎた後だった。見物人たちはぞろぞろと帰路に着いていた。牛車の群れが町中を目指して流れて行く。その中の一つが群れからそれて三人の方にやって来た。三人はそれに気づくと首を立てて牛車を見やった。車は三人に近づくと、速度をゆるめて通り過ぎた。
 その時、三人は車の物見の半蔀なかしとみが少し開いているのに気づいた。しかし中から頼光の姫の食い入るような視線に気づいたのは金時だけだった。姫の一瞥を浴びた金時は顔を真っ赤にして視線をそらした。次に彼が車を見た時には、遠ざかる車の下簾から清らかな色の出衣がゆるやかに揺れていた。金時は車が視界から消えるまで見つめていた。
 貞光と季武が、どうした何を見ていると声をかけた。金時は我に返ったように二人に顔を向けると、何か言おうとした。しかし息を飲んで口を閉じてしまった。そしてそのまま大きな体を揺すると立ち上がり、「もう車は嫌だ」とぽつりと言うと帰り支度を始めた。
 三人は牛車を先に返して、大路の雑踏がおさまるのを待って歩いて帰ることにした。三人とも黙々と歩いた。歩きながら今日一日のことを思い返していた。
 ほんの少し思い出しただけで恥ずかしさのあまり顔が赤く火照る。何と馬鹿げたことをしてしまったのか。例え千人万人の敵の中でも厭わず馬を走らせるが、都大路を牛車で行くことだけは御免こうむりたい。もう二度と牛車には乗るものでない。あれは都の貴族が乗るものだ。我らには乗ることが出来ぬ。
 貴族と武人の違いを思い知らされ後悔しながら、頼光の屋敷に戻った三人であった。そして金時だけには更に姫に対する恥ずかしさが加わっていた。
 三人は赤い顔をして屋敷の門をくぐった。その中でも金時の顔は一段と赤かった。それを見て高らかに嘲笑った者がいた。渡辺綱である。綱はわざわざ門の所で待ち構えていたのだ。三人はそそくさと門の中へ入ろうとした。その時綱は日焼けした精悍な顔に皮肉な笑みを浮かべながら言った。
 「お帰り。どちらにお越しで。賀茂の行列見物には行きましたかな」

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