小説

『千年に咲く花』丹一(落語『竹の水仙』『ねずみ』)

 男は馬水桶に浮かぶ虫ケラを見ながら、
「源五郎。小林源五郎という放浪の大工職人さ」
 と頭を掻きながら飄々と答えた。
「いやはや、またお前の悪い癖がでたな」
 突として、源五郎の側から声が湧いた。娘が怪訝な表情で振り向いたが、男以外に誰もいなかった。

源五郎が横になりながら酒を呑んでいると、
「いつまで、こんなボロ宿にいるつもりだ?」
 また源五郎以外の声が諫めるように訊いた。
「旨い酒が呑めるのに、どうして先を急ぐんだい」
部屋には源五郎しかいないのに、誠に面妖な会話である。
「それに、半年ぶり二人目の客が来たみたいだよ」
 なるほど源五郎の云う通りで、武家と覚しき男が相部屋となった。どうせ向かいの虎屋が満杯なのであぶれたクチであろう。それにもまして相部屋なのは、この鼠屋の泊まり部屋が一つしかないからだ。まさしく名は体を表すで、鼠の住処のごとく狭い宿屋である。
「そうすると源五郎殿は、黒船を見に此処まで来たと?」
 フクロウが訊いた。相部屋となった武家の男だが、眼がギョロリとしてフクロウのごとき異相の持ち主であった。
「なあに、異国の大工仕事がどんなものか物見遊山さ」
「儂も黒船絡みで此処に立ち寄ったが、どうやら長逗留してしまった」
 たしかに武家の男と源五郎は、酒を酌み交わして二日目になる。
「まったく酒ばかり呑んで、大工のくせにモノグサだね」
 銚子を運んできた娘が呆れ顔で云うと、
「大工ゆえに左党であるな」
 と武家の男が感心した。酒呑みのことを左利きあるいは左党と云うが、それは大工が鑿(のみ)を持つときに左手で持つので、鑿手と呑み手の掛け言葉なのである。
「ウチのお父つぁんも酒呑みで、それが因果でこんな有様さ」
「と云うと?」と源五郎が尋ねた。
「向かいの虎屋の主人は、元はウチのお父つぁんだったんだよ。それがお母つぁんが病死してから酒に溺れて、迎えた後妻と番頭に虎屋を乗っ取られてしまったのさ」

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