小説

『舞姫は斯く踊りき』木江恭(『舞姫』森鴎外、『サロメ』オスカー・ワイルド)

 舞衣はある男を探している。寒原はそれらしい候補者を見つけたら舞衣に連絡し、彼女が直接会って確認するのだが、今のところ結果は芳しくない。
 何せ手がかりが少なすぎるのだ。
 名前はオオタ。歳は三十代後半。そして――少女愛嗜好の持ち主。わかっているのはそれだけだ。
「今回はすぐに違うとわかったのかい?」
「確信したのは食事の途中。それで即行逃げ出してきた」
「へえ。しかしよく帰してもらえたね?」
「それは」
 ウェイターがグラスを運んで来て、舞衣は口を噤んだ。躾の行き届いたウェイターが速やかに去るのを待って、舞衣はいたずらっぽく笑って身を乗り出す。
「食事に即効性の下剤盛って、トイレ行ってる間に帰った。結構たくさん混ぜたから、今もまだ苦しんでるんじゃない?」
 寒原は無言でクバリブレを自分の方に引き寄せた。舞衣が唇を尖らせる。
「ちょっと。寒原さんには何もしないよ」
「どうだか。ルクレツィア・ボルジアには油断ならない」
 仕返しのようにソルティードッグを手に取って、舞衣は首を傾げた。
「誰それ」
「ルネサンス期のヨーロッパで、毒薬使いと呼ばれたボルジア家の美姫さ。指輪の中に潜ませた毒で敵を暗殺したと言われている」
「ふうん。相変わらず変なこと知ってるのね」
「博識と言ってくれ」
 自分で尋ねた癖に、舞衣は生返事でメニューをぺらぺらと捲っている。構わずに寒原は続けた。
「ちなみに俗説だが、彼女は十代で父親不明の子どもを産んでいる」
 舞衣の指が、ぴたりと止まった。
「へえ。今も昔も、若者の性の乱れは問題ね」
「おや、さすがは少年課の刑事さんだ」
「まあ、これでも一応」
 舞衣は勢いよくメニューを閉じたが、ウェイターを呼ぼうとはしなかった。
「ところで、妹さんは元気かい?」
 グラスに口を付けた舞衣が視線を上げた。

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