小説

『名付け』須田仙一(『寿限無』)

 私達はまだお昼を取っていなかったので、店員さんにカタログをもらって、お昼を食べながら検討することにした。結構長いこと話し合った。向き合って話したのなんて恋人時代以来だな、たまには良いもんだな、と思った。
 時間を忘れて話し合っていたので、再来店したのは、閉店時間ギリギリだった。入れ違いで出て行った夫婦がいた。すれ違った時、磯の香りがした。おそらく海辺の町に住んでいる人たちなのだろう。
「もう来られないのかと思いましたよ」と店員さんはニッコリした。
「あ、『郎』って売れちゃいました?」
「あぁ、今の方が買われていきましたね。多分まだ倉庫にあります。取ってきましょうか?」
「お願いします」
 店員さんは暖簾をくぐると、店の奥に消えて行った。
 私と妻は、残りの漢字をレジに並べた。自分が選んだ漢字が並んでいる様を見ると、何だか誇らしい気持ちになった。戻ってきた店員さんは「いいチョイスですね。これに『郎』の男らしさ、が加わったら、何か偉大なことを成し遂げるようなお子さんになるでしょうね」と言った。
 清算を済ませると、もう外は真っ暗だった。ふと横を見ると、妻が手元にある、付けたてホヤホヤの名前を見ていた。背中に背負った店の明かりで、あまり顔を窺い知ることは出来なかったが、それでも不安そうであることは分かった。
 私は「ほら、早く行くぞ。電車の時間あるから」と言い、一呼吸置くと「それに桃太郎も待ってるしな」と言った。
 妻が私を見た。その顔に水面に水滴を垂らした時のように、笑みが広がった。
「そうですね」
 そうして、私達は洗濯機もないような田舎へと帰っていたのだった。

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