まず気づいたのは手袋だった。そうして、赤ん坊の方に駆けつけようとした。水を吸い、地面に叩きつけられた手袋の足は重かった。ふつうならあの勢いで叩きつけられた赤ん坊はサルト・アンヘルの天使のように血の虹となってもおかしくなかった。手袋がかばってくれたのだ。赤ん坊が骨を折らないよう、血一滴流さないよう、皮ひとつすりむけないよう、手袋が衝撃を吸収した。赤ん坊が手袋から飛びでるときも、あえて口をほどいて、やさしくレッドカーペットを歩けるように赤ん坊を送りだした。
だからか手袋にはもう力が残っていなかった。薄らいでいく意識のなかで、ラクダとクジラがすさりすさり、夕陽のように赤ん坊に近づいていく。つかもうと、手を伸ばして、切り落とされた指のすき間に赤ん坊を見つけたまま手袋は死んだ。さらさらと砂が舞った。赤土の多いこのあたりでは見たこともないような金色の砂だった。
砂は風に運ばれる。木々の間をぬけ、渓流をこえ、草原にひろがり、砂は散らばっていった。1人の猟師がいた。猟師は砂が運んだ匂いに導かれて、砂がきた道をさかのぼっていった。
ちょうど川原にたどりついたのは、最後の砂が散ったときだった。猟師が求めていた獲物はそこにいなかったが、かわりに赤ん坊がいた。猟師はあたりを見回し、わたしにはわからない言葉でいくらかつぶやき、あたりに呼びかけてから、赤ん坊をつまみ上げた。そのまま抱いて、来た道をもどっていった。ラクダのような恐怖とクジラのような死は猟師が赤ん坊を持ち上げたときに、おそらくはたまたま振り落とされ、たまたま猟師の足に踏まれ、「ぴやん」という音をたてた。その後、その地面を踏むと「ぴやん」という音が鳴るようになったけど、まわりの地面とちがうところはなにもないので、誰も踏まなくなった。そうするとそこに草が生え、風に揺れると「ぴやん」「ぴやん」と泣くようになった。
わたしの話はここまで。わたしがちいさくて手袋のなかにいた頃の話だ。その頃のわたしには現在まで残るような記憶なんてないし、わたしの父親になってくれた「猟師」にしても、わたしを拾うまでのことなんて知るはずもない。誰かにきいたのか、きいたとして誰なのか、それともほんとうにわたしの記憶なのか、なにもわからないけど、これは間違いなくわたしの小さいころの話で、手袋のなかで過ごしてたせいか、いまでも狭いところが好きで、こうして樽のなかに住んでいる。