小説

『手袋と赤ん坊』ふくだぺろ(『北米先住民の民話』)

   
   いまや手袋のなかの水は赤ん坊の胸まで埋めていた。赤ん坊はいっそう激しく泣いた。冷たくて、なんでかわからないけど怖くて、泣けて泣けて泣いていた。赤ん坊が流した涙の分だけ水位があがった。だから泣けば泣くほど溺死が近づいているのだが、そのことに気づいてか気づかないでか、赤ん坊はもっと激しく泣きだした。

   涙が手袋のなかにたまって、赤ん坊は首までつかっていた。川の流れがうねるたびにとぷり、跳ねる水がすこしづつ、赤ん坊の口内に侵入していた。水は涙のことは知っていた。水というのははじめは誰もが涙だったから、ご先祖様に会ったようなもので、また幼年期の自分に会ったようなもので、はしゃいでいた。「お久しぶりでございます」の声が方々から喧しくあがって、赤ん坊の泣き声をかき消した。

   そわんそわん 深まるほどに水は色の青を深くしていった。赤ん坊の肺にたまった空気が、白い泡になって水中をのぼっていった。「川」も知らなければ、「溺れる」も知らない赤ん坊は、なにかやわらかくて形のない強情なものが気道から肺に流れこんで、胸のあたりが苦しみの塊になるのを感じていた。喉の呼吸筋が痙攣していた。横隔膜が真っ赤に痙攣していた。赤は黒になり、赤ん坊は苦しみの塊になった。手袋は水底にたどりついた。

   一尾の魚だった。山女魚だった。水底から猛烈なスピードで上昇し、川面を突きやぶり、川原に打ち上げられた。涙が水に話を通してくれたのだ。赤ん坊は涙みたいなものだから、水も同情したんだろう。なぜ山女魚をつかったのかはわからないが、打ち上げられた尾っぽのさきには手袋がひっかかっていて、地面に叩きつけられた衝撃から、しばられた口がほどけて飛び出た赤ん坊が、水を吐きだしていた。水以外のものはたいして吐きださなかったが、恐怖と死が転がりでた。

   恐怖はちいさなラクダのような形をしていて、よたよた起き上がろうとしていた。死はクジラみたいだった。そしてこちらも起き上がろうとしていた。夜でさえ聞いたこともないようなおぞましい声で泣く2つの生き物は赤ん坊に歩みよろうとしていた。まだ手足を動かすことも満足にできないような赤ん坊は、その分、気配を察するのには長けていて、できる唯一のことをした。泣いた。

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