もしそこに理由を求めるなら、おわりのない苦しみが胸をかきむしるだろう。マフムードがもし死んでたらマフムードの母親が味わったような苦しみだ。それから随分たって彼女が亡くなるとき、遺体を浄めようと服をぬがした姉は、妹の胸にどす赤い蝶々があがいてるのを見つけただろう。蜘蛛の巣につかまって震える蝶。妹が蝶なのか蜘蛛なのか、姉にはわからなかった。だからそっと目を閉じて、妹の体を洗った。布でくるんで、自分の見たことを誰にも言わなかった。秘密なんて、人生にはありふれたことだった。だから、マフムードの父親も、妻の蜘蛛と蝶のことは知らないまま死んでいったろう。
だがマフムードが死んでたら、父親の腸を断たれる苦しみは母親の比じゃなかった。父親は息子が撃たれたその場にいた。その場にいて、なにもできなかった。
「マーちゃんを助けなければ」
脅迫する思いがあまりにも強すぎたのか、動けなかった。そして銃弾に斃れる息子のすがたを思いつづけ、その瞬間を何度も生きなおす木偶になった。何回トライしても結局息子を救うことはできないのだが、次こそはひょっとしたらという期待があるだけ、はっきりと息子のいない世界よりはましだった。
事実は、若いイスラエル兵の動きがあまりにも脈絡なく、突然すぎたのだ。砂漠の雨のようだった。集団の記憶のすき間に吸いこまれて消えた彼はアサーフといった。アサーフはその後の長い平穏な人生でいちどもマフムードのことを思い出すことはなかった。
孫のアルメダに「おじいちゃん、人殺したことあるの?」聞かれて一瞬なにか――白い布、カンドゥーラ?を思いだした気もしたが、すでにはんぶん呆けていて、
「ああ、あるよ。あれはうまかった。お前にも食べさせたかったよ」
ニマリ。口角のつり上がったおおきな笑みに、(おじいちゃんは人を食ったことがある!)勘違いしたアルメダは2度と祖父にひとりでは近寄らなかったが、アサーフが思い出していたのは一夏の恋が焼いたスフレだった。彼女の焼き立てのスフレに指で穴をあける。白い魂が漏れてくる。どんどんしぼんでいく。どうにかして元にもどさないと。気ばかりが焦ってなにもできない。どうにかして元にもどさないと。気ばかりが焦ってなにもできない。