かつて天使だった屍体はずっとそこに横たわって雨に打たれていた。血が雨ににじんで、愛のように流れていたのをわたしは覚えている。そう、虹もかかっていた。
手袋と赤ん坊が落ちた滝も滝壺のない滝だった。高さ50cmだった。それでも手袋と赤ん坊にとっては979mにも似た思いだった。
「そのうちだな」
手袋は口にこそ出さないが、気づいていた。自分は完全に水をふせげるわけではなく、そのうち水を呑んでしまう。そうすると赤ん坊は………。手袋は考えることをやめた。赤ん坊のことを自分の子どものように思っていた。これは珍しいことだが、手袋が人間の子に愛情を持つのは例のないことではない。
もっとも有名なのは1957年、ベツレヘムで3双の手袋が少年を救った話だ。少年の名はマフムード、姓は伝わっていない。ちっさなマフムードは手袋が好きだった。綿、絹、牛、羊、鰐あらゆる素材のあらゆる加工と長さと用途の手袋を集めていた。なんで彼がそんなにも手袋に熱中していたのか、聞くだけ無駄である。他人に説明できるような情熱はもう情熱ではない。他の子がPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の旗を追いかける熱心さでマフムードは手袋を撫でていた。親はそれを不安に眺めながら、取り上げることはできないでいた。いちどコレクションを捨てたら、発作を起こしたのである。身体中の穴という穴から液体という液体が漏れる発作だった。
「手袋は包むためにあります。手袋があることでマフムードの体内の水分が保たれるんでしょう。安心というのはいくらあっても足りませんからね」
医者のことばに両親はしがみついて、それ以来マフムードに望むだけの手袋をあたえた。
そんなある日、である。マフムードは手袋をせずにベツレヘムの街を歩いていた。街ゆくひとの煙草の煙が太陽のように笑う、そんな賑やかな日だった。彼は立っていた。いや、立っていたのではない、立たされていた。地面には片方の足しかつけてはいけなかった。あごをつたって落ちる汗が、地面にとどくまでの間に蒸発した。ただ右足と左足を交換するのは問題なかった。それを許す自分は心の優しい男だと、マフムードの横で日陰に座る、イスラエルの軍服を着た男は自分で自分を慰めていた。数分後、その男にマフムードは銃弾で撃たれた。理由なんかなかった。そもそも彼がそこに立たされていたことにも理由はなかった。