「何かの拍子で火がついたりしたら、危ないから」
コバヤシはライターをわたしに手渡し、口にあったタバコを箱に戻した。彼が天を仰いで溜息をつくと、白い息が、闇に散っていった。
「帰るか」
彼は立ち上がり、わたしは座ったままでいた。振り返ったコバヤシにわたしは言った。
「少し残るわ。電話を、したいところがあるから」
男は頷いて、アタッシュケースを持ち上げると
「じゃあな。よいお年を、かな」
と言った。コバヤシはもう、わたしを『クリタ』とは呼ばない。
「じゃあね」
彼は振り返らずに、公園から出ていった。いつの間にか小学生も高校生のカップルもいなくなっていて、わたしはひとりになった。遠くに正月用のBGMと車のエンジン音を聞きながら、わたしは右手の中の100円ライターで、もう一度火を灯そうとした。何度か失敗した後、ほんの一瞬だけ目の前が明るくなった。わたしはまたそれをかばおうと左手を差し出して、自分の目の前に、可視化された誓いという束縛の現実をさらした。
火は、すぐに消えてしまった。わたしは両手で使えなくなったライターを握りしめながら、体をベンチの背もたれに預けた。本当に電話をかけるのか、このまま家に帰るのか、明日がどんな日になるのか、分からないまま静かにまぶたを閉じた。
燃え尽きたライターが、誰かが持つ高級なブランド品や、過ぎ去った美しい何かを照らし出すことは、もう二度とない。