小説

『ピンクの100円ライター』山名美穂(『マッチ売りの少女』)

 コバヤシは空いていた左手で頭を掻きながら、辺りをぐるりと見回した。彼の視線はほぼ一周して、わたし達をすぐ隣で照らしていた自動販売機で止まった。それから彼は、道の向かいに見える小さな公園を指さして言った。
「あったかい飲み物買って、あそこで少し話そう」
 わたしは少し面食らった。大の大人がふたり、この寒い夜空の下、空き地で雑談なんて。この人は、スーツ姿で女の人を公園に誘うような男になったのだろうか。それとも、白菜を抱えたわたしだから、なのだろうか。それから、少し迷った。もしかしたらあの人が、家でわたしの帰りを待っているかもしれないのだ。それならば早く帰らないといけない。でも、
「クリタはココア好きだったよね」
 悪びれない楽しげな声で自販機に向かって話しかけているコバヤシの背中を眺めて考え直す。急な残業を頼まれたと言えばいい。少しくらい、いい。
「オレが好きだったコーヒー、なくなっちゃったんだよね。近頃は商品の入れ替わりが激しくてさ、缶コーヒーでホッとするのも簡単じゃないんだよ。」
 振り返ったコバヤシの左手には、ココアとコーヒーのふたつの缶が器用に挟まれていた。
「クリタ、早く持って。熱い」
 わたしは急いでココアを右手で受け取った。コバヤシはコートのポケットに缶コーヒーと左手を入れて
「あったけぇ」
と言った。そして今じゃすっかり存在意義の薄くなった電話ボックスの立つ、公園の入り口を目指して歩き始めた。わたしは彼の後ろを追った。一歩先を行くコバヤシが、満面の笑みで振り返ってわたしに言った。
「学生時代みたくねぇ?すげぇ楽しい」

 公園は、道路に面していない三方をぐるりと植物で囲まれていて、暗かった。潔く北風に乗れなかった枯葉をぶら下げた桜や銀杏といった背の高い木々や、夜の中で一段と深い影を落とす手入れの届かない常緑樹。唯一公園内にある灯りの下に置かれた妙にカラフルな遊具の上で、小学校高学年くらいの男の子三人が携帯電話をいじって帰らない理由を探している。 入り口の公衆電話裏に置かれたベンチでは、高校生のカップルが、行き場をなくして寄り添っていた。

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