わたし達は高校生カップルから一番離れた、ペンキの剥げ落ちてしまった木製のベンチに場所を取った。コバヤシが腰を下ろし、わたしがその左側に座る。思えばあの頃も、大体いつもこんな配置だったかもしれない。
「ココア貸してみ」
コバヤシはわたしの手からミルクココアの缶を取り上げると、プルタブを引いてからわたしの手の中に押し戻した。 <ああ、よかった>。わたしは思う。 そして思い出す。 かつてコバヤシが時々マジックみたいに出した、こういう優しさを。 コバヤシは自分の缶コーヒーを開け、一口飲んだ。それから、コートの右のポケットからタバコとライターを取り出して、一本のタバコに火をつけた。わたしの視線は、しばらくそのライターに注がれた。それは、透き通ったピンク色の100円ライターだった。吸っているタバコの銘柄は変わった。灯した火を風から守る手の甲にある筋の数も、少し前とは違う。煙を吸い上げる時に、以前にはなかった皺が、眉間に入った。変わらないのは、タバコに火をつける安っぽいピンクのライターだけだ。わたしが彼の横顔を眺めるのをやめて、飲み物を口元に運ぶと、
「タバコやめたの?」
と、コバヤシがわたしに聞いた。いくつかの記憶や嘘が頭の中で小さく燃え上がって、そして静かに沈下していった。わたしはこっくりした。
「素敵な鞄ね」
彼の右横に置かれたピカピカのアタッシュケースを指して、わたしは言った。
「今年のボーナスで」
コバヤシは左手に缶コーヒーとタバコを一緒に持って、前を向いたまま笑った。
「社長に怒られたよ。大手のクライアントに会う時持っていったらさ、『お前がゼロハリバートンなんて生意気だ』って」
「でも今日もお客さんのところ行ってきたんでしょ?」
「相手が中小だから。担当者も俺より若いし」
彼の声は少し低く、神妙になった。そしてことばとことばの間に小さな空白を作った。それは、巧妙に意図的に挿入されている間(ま)だった。営業をするような人間がよく使うテクニックだ。
「もうひと押しで契約が取れそうだから、ちょっと強気でいってもいいかと思って」
そのまま、隣のサラリーマンは仕事の話を続けた。わたしは手袋越しに、手の中でココアが冷えていくのを感じながら、黙ってその話を聞いていた。彼の方へ顔を傾けていると、自然と銀のアタッシュケースが目に入った。まだ真新しくて、傷らしい傷もない。コバヤシが手に入れたばかりの輝かしいステータスに、わたしは目を細めた。