小説

『ピンクの100円ライター』山名美穂(『マッチ売りの少女』)

「クリタ…?だよな?」
 何かに引っ張られるように後ろを振り向くと、自動販売機の前に黒いコートを羽織った、黒髪のスーツ姿の男が立っていた。手には銀色のアタッシュケースを持っている。
「コバヤシ」
 わたしの声は驚くほど平坦に、彼の名前を呼んだ。コバヤシはわたしが『クリタ』であることに確信を持つと、口元を緩ませた。わたしは買い物袋をふいに後ろ手に隠した。わたしたちはゆっくりと、離れかけた距離を縮めた。
「久しぶりだな」
「久しぶりだね」
「何年ぶりだ?」
 年数を数える前に、わたしの頭の中には、ノースフェイスの黒いダウンジャケットにジーンズを合わせて、茶色く長い髪を後ろへと流した髪型のコバヤシの姿が浮かんだ。その姿と、今目の前にいる男のいでたちの違いが、流れた時間を物語っている。わたしは周囲を見回してから、何故か声をひそめて聞いた。
「仕事?」
「お客のとこの帰り。ここ(と言って、コバヤシは駐車場をあごで指した)に車止めて」
「大晦日なのに」
「それは、こっちの台詞だよ」
 コバヤシは声を上げて笑った。
「クリタもすっかりOLさんだな。この辺に住んでんの?自炊もしてるみたいだし、偉いじゃん」
 彼の言葉を受けて、わたしはまたスーパーのビニール袋を後ろに引いた。いいのか悪いのか、コバヤシの適当で無神経、無関心みたいな性質は今も残っているようで、彼はわたしの様子を気にするでもなく、言った。
「どっかでお茶でも、って言いたいんだけど、この辺りにカフェとかある?」
「そんなしゃれたものは…。駅前まで戻れば、コーヒーショップがあるけど…」
 わたしは思い切って、左手の荷物をコバヤシの目の前に掲げてみた。
「ああ、そうか。その荷物持って動くのも辛いよね。社用車でどこかにっていうわけにもいかなさそうだし」

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