小説

『F・A・C・E』澤ノブワレ(『むじな』)

 どうやって家まで辿り着いたのかは覚えていないが、部屋になだれ込んだ俺を待ち構えていた不愉快な高鼾については、何故か冷静に頭で整理することが出来た。夜の仕事に行っている時間のはずだが、まあ生理がどうだのメンドクサいだのと何かにつけてサボる癖のある女だから、今日もそんなところなのだろう、と。だからこそ俺は何の躊躇もなく、その横に潜り込もうとした。正確に言えば、もう何も考えたくなかった。知覚の幅を越えた出来事に掻き回された上で、中途半端な量のアルコールを摂取させられた俺の脳味噌は、それ以上の思考を拒絶したのだ。しかし、人間の防衛本能というのはご立派なもので、ほとんど倒れ込むように万年床へと落下しかけた俺の体は、妙な体制で硬直した。
――まさか、な……。
 俺はゆっくりとしゃがみ込み、その下品な顔面に掛かった布団の端を少し捲る。厚ぼったい唇に、上向きの鼻、薄い睫毛。そこにあるはずのものが正確に並んでいた。無いのは眉毛だけだったが、それは元々のことだ。いつもは苛立つその顔面に異常なまでの安心感を覚え、俺はそのまま崩れ落ちた。

 逃げまどう。下を向いて、何も見たくない。目が飛んでくる。鼻が飛んでくる。唇が飛んでくる。顔を覆った腕に、まるで横殴りの雹のごとく、バラバラと音を立てて奴らがぶつかってくる。落ちた奴らが嫌でも目に入る。眼球……というより、瞼のあたりから切り取られた目や趣味の悪い置物みたいな鼻や口が、福笑いのパーツのようにボロボロと転がり、時折俺の足に踏みつぶされる。グチャリと肉質のものを踏みつぶした感覚は無い。ザクリザクリと、乾きかけた土粘土を踏みつぶすような音が響く。
 俺はその目を知っている。その鼻を知っている。その唇を知っている。知っていることは認める。もう認める。だが拒否する。拒絶する。俺の脳内で、それが正確な組み合わせで、正確な位置づけで組み合わさっていくことだけはゴメンだ。そうなってしまったら、俺はもう終わりだ。何故かは分からない。だがほとんど確信して言える。

――それを思い出したら、俺は終わりだ。

 脳内にくっきりと浮かびかけたイメージをブチ壊すために絶叫したところで、俺は布団から跳ね起きた。首筋を尋常でない量の汗が流れていく。横で女がモゾモゾと起き上がる。
「どうしたの。」

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