「やはり……、お会いしてますよね。」
男の声が、少しばかり悦を纏った気がした。俺はもう耐えられなかった。男は明らかに、俺に出くわしたことを喜んでいる。気色悪い。これ以上、奴のペースに呑まれる訳にはいかない。俺は懐のスタンガンを確認して、男の方へと振り返る。そして、次の瞬間、俺は声にならない叫びを挙げて駆けだしていた。
男には、顔が無かった。正確に言えば、顔面はあった。だが、そこにあるはずのモノが無かった。目も口も、鼻も眉も、何も無かった。だが、それは確かに笑っていた。街灯の明かりに照らされた「それ」は、ぼんやりとした輪郭だけをぐにゃりと曲げて、ニンマリと笑っていた。
――四人?
ああ、俺が殺した人数だ。
――連続殺人?
まあ、家族四人を縛り上げて、家長の目の前で一時間おきに殺して、仕上げに家長を柱に縛り付けたまま家を全焼させてやったのを連続というなら、そうだろうか。家長は働き盛りの公務員。俺と同年代だったと思う。面識は殆どない。立ち飲み屋で
「公務員は勝ち組だね。イイ歳こいて日雇い労働なんてやってる奴は社会のゴミなんだよ。」
と、管を巻いていたのを一度見たことがあるだけ。俺はその当時、日雇いの派遣労働者だったが、だからといって、その言葉に殺意を抱いた訳ではない。ずっと以前から、長い人生なのだから、一回くらい人を殺める経験があっても良いなと思っていた。ただ、「別に殺してもよさそうな人間」になかなか出くわさなかっただけであって、たまたま「別に殺してもよさそうな人間」にシックリきたのが奴だったから、殺した。それだけ。罪の意識が無いわけではない。俺のやったことは立派な殺人罪であって、正当化しようという気は全くない。だが、捕まるのはゴメンだ。わざわざ刑務所に入って、規則正しい生活をして、訳の分からん手工業製品作りに精を出しながら死刑を待つなんて、考えただけでも吐き気がする。
吐き気を催すような行為をマゾヒストのように重ねることが贖罪だというのなら、俺はもう十分に罪を償っている。時折襲ってくる、クソじみたフラッシュバックだ。普段は犯行時のことなど思い出さないのだが、その時だけは、一家を惨殺したときの光景や感触が克明に蘇る。そして俺は、その度に吐き気を催すハメになる。俺がナイフを突き立てたその女や少年や少女には、揃いも揃って顔がないのだ。目も口も鼻も無いその顔を苦痛に歪めて、彼らは獣じみた断末魔を上げる。そのたびに、柱に縛り付けられた顔のない男が悲痛な声で懇願する。おぞましい光景の中、俺は粛々と自らの経験をなぞっていく。そして家に火を点けたところで毎回俺は意識を取り戻すのだった。フラッシュバックが終わっても、俺は彼らの顔だけを思い出すことが全く出来なかった。自分でも自分を恐ろしく思う。そう、俺は彼らの顔を覚えていないのだ。目も、口も、鼻も。