小説

『夢泥棒』伊藤円(『夢占』『舌切り雀』『浦島太郎』『かちかち山』『雷のさずけもの』『はなさかじいさん』等)

「な、化け狸だったのか」
 思わず零すと、
「いいや。最後の光を見ただろう。未だ変身は残されているのだ!」
 即座に刑事が答えた。すると途端、むく、むく、と狸の身体から黒煙が湧き上がって、頭上で一塊になった。橋爪がそれの正体に気がついたと同時に、ぴか、ぴか、と稲妻が走り出して、ごおう、ごおう、と雷が鳴り出した。ざざあ、ざざあ、と大雨が降り出すと激しい雨はまるで木の皮を捲るかのように狸の表皮を剥がしていった。現れたのは身体の真っ赤な、子供のような形の光る物体で、ずるり、と最後頭の皮が落ちると、人とも獣とも判別の付かぬ奇妙な顔がぼうっ、と浮かぶのだった。
「……これが、夢泥棒」
「そうだ、こいつが、他人様の麗しき夢を奪っていたのさ」
 そう言うと刑事は腕を持ち上げて何か合図をした。途端、わら、わら、と部下たちが船の形をしたバケツを運んできてそれを夢泥棒を囲むように設置した。そして其々のバケツの水面に笹の葉を浮かべると、じじじじじ! と夢泥棒は身体中から眩い光をまき散らし、橋爪は思わず目を瞑ってしまった。じり、じり、音だけが前後左右あらゆる方向に飛散し、しかし数秒でぱた、と音が止んだ。恐る恐る目を開けて、目前に広がった光景に橋爪は、はっ、と息を飲んだ。いつの間にか夢泥棒は消え、辺りも城の内装から長い長い並木道と変貌して、景色いっぱいにきら、きら、と砂金のような輝きが舞い乱れているのだった。
「こ、これは?」
 思わず尋ねると、
「盗まれた夢の数々さ。これを解放する事、それが我々の本当の目的なのだ」
 四方八方に煌めく光。それは赤、青、緑、黄、様々な色を反射させ、何と、立ち並ぶ枯れ木に種々の花を咲かしているのだった。それらの花はもわりと薄い霧のようなものに包まれて、注視すればその膜には魚眼レンズのように様々な景色が流れていた。
「さて、夢の散歩にでも繰り出しましょう」
 刑事に連れられ橋爪は並木道を歩いた。赤い花の靄では、頭巾を被った少女がバスケットを片手に楽しげに森を散策していた。青い花の靄では、透き通った肌の人魚が小魚たちと共に海を回遊していた。緑色の花の靄には、小さな背丈の少年が雲を突き抜ける程に伸びた木を登っていた。黄色の花の靄には、美しいドレスに身を包んだ少女の元にその装飾品のよう星が降り注いでいた。一つ一つの花の靄に断片的なシーンが、ちろ、ちろ、とシャボン膜に泳ぐ虹のように移り変わり、あまりの美麗さに橋爪は夢中になって彼方此方を見回し歩いた。針を抱えて鬼に立ち向かう小人には心を奮い立たされた。自らの装飾品を貧しい人たちに与える銅像には涙を誘われた。鬼に瘤を取ってもらおうと披露した踊りの不得手さには笑いを堪えきれなかった。たす、たす、進んだ。ゆっくり進んだ。刑事も、部下も、橋爪も、泡沫の長閑さを全身で愉しんだ。そしてふと、水色の花を見やるとその靄には、氷のようなドレスに身を包んだ美女が夜の宮殿を急ぎ足で駆けていて、
 ――ごーん。
と、籠ったような鐘の音が鳴り響いた。

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