懐かしい匂いと体温にスーホの胸が熱くなる。しかし、頬に当たる固い手綱と見慣れぬはみは、スーホに現実を思い知らせる。
ツァスはもう、スーホの馬ではないのだった。
スーホはツァスの手綱を片手に、少年王に向き直った。
「陛下、お願いがあります。どうかツァスを」
「見せてくれ」
少年王は微笑んだ。
「そなたがその馬に乗るところを見せてくれ。この間は、遠くてよく見えなかったから」
薄闇の下でもわかってしまうほど、少年王の表情はひどく寂しげだった。スーホは、黙って少年王の願いに従った。
鞍は外したままだが、相方がツァスならば問題はない。たてがみを掴み勢いよく背に跨ったところで、スーホは違和感を覚えた。
ツァスの背中はこんなに高かったか。こんなに張りつめた筋肉をしていたか。
手元に視線を落とし、スーホは悲鳴を飲み込んだ。
左手に掴んだたてがみは、ぬばたまの漆黒。腿の下で流れる毛並みもそのまま闇に溶け込んでいる。隆々とした筋肉、張り出した骨格、荒々しく首を振る仕草、どれも明らかに雄のそれだ。
ツァスじゃない――スーホの背筋が粟立った。ほんの数秒前まで確かにツァスだったのに、この見知らぬ馬は一体――いや、僕はこの馬を知っている。この青毛はあの日、競技会で少年王が跨っていたあの見事な――。
顔を上げると、何故か隣で少年王がツァスの背に乗っている。彼もまた、呆然としてスーホを見つめていた。しかし突然にやりと笑ったかと思うと、両足でツァスの腹を蹴った。
「な、危な、」
「大丈夫。今宵は夢のような夜――きっと何もかも特別だ」
ツァスが踊るように跳ね、少年王はその首にしがみついた。鞍の支えも鐙の助けもなく、へっぴり腰で危なっかしく振り回されながら、少年王は声を上げて笑った。星屑を振り撒くような笑い声だった。青い光と薄い闇の狭間で、ツァスの白い肢体と少年王の黒髪が乱れ舞う。