小説

『美しい人』澤ノブワレ(『雪女』)

 僕は何をしてきたのだろう。自分が幸福を享受するために、ずっとユキの忍耐と寛容に甘えてきたのだ。それがどれだけ彼女を苦しめ、悲しませているのかにも気付かず。いや、気付いていた。ユキと、ユキが与えてくれる幸せを失いたくなくて、ずっと目を背けてきたのだ。そうだ、僕は十分過ぎるほど、彼女に幸せを貰った。
 僕はユキの膝から頭を持ち上げる。首筋から冷たい手が流れ落ちた。彼女の頭にそっと手を置いて、その美しい髪を一つ撫でると、彼女の体重が僕に委ねられるのが感じられた。僕も彼女の方へ身を預ける。僕は一瞬、彼女から顔を背けた。手に隠し持っていた小瓶から液体を口に流し込むことは、彼女との約束に含まれていなかったから。そして、もう一度エンターキーに指をかけ、そっと押し込む。ゆっくりと、僕に伝わっていた震えが消えていって、ず……、と掛かる重みが増した。僕は、心から穏やかな表情になった彼女のことを、泣くでも、笑うでもなく、永遠に見つめていた。心行くまで見つめてから、僕はもう一度キーボードに手を伸ばし、それから、ゆっくりと目を閉じた。

――本当に、美しい人でした。
 

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