小説

『美しい人』澤ノブワレ(『雪女』)

――父が彼女を家に招き入れたのは、僕のためでもあり、父自身のためでもありました。
「母さんがいないと、寂しいだろう。」
 その口調は、どこか同意を求めるようなところがありました。本当のところ、彼女を一番必要としていたのは父でありました。さればこそ、ユキという母の名前を冠したその女は、母の容姿すら生き写しにしていたのだあります。

――彼女が初めて家に来た時のことは、今でも鮮明に覚えております。僕が二階の自室で勉強しておりますと、エンジン音が家の前で止まるのが分かりました。机は窓に向いておりましたので、私は机に手を突き、身を乗り出して、窓から下の様子を伺いました。門前に停まっていたのは、姫君の御駕籠とは言い難い粗末な白いバンでありました。「貴人の送迎にはリムジンか、美しい手彫りの装飾を施した馬車に決まっている」と想像していた幼き日の夢見がちな僕には、少しばかり残念な気のする光景でした。バンの運転席から這い出るように出てきた、汚らしいジャンバーの男が更に僕の不安を煽り、ほとんど落胆に近い感情を抱き始めていたのであります。しかし、その落胆は一瞬にして弾け飛びました。次の瞬間バンの後部座席から出てきた女の美しさに、僕は影も形も無く心を奪われてしまったのであります。それは名の通り、純白の雪のような端麗さでありました。

――それからしばらくの生活は、月並みな言い方ではありますが、本当に夢のようなものでありました。ユキは口数こそ少ない女でしたが、優しく、細やかに、僕のことを見守ってくれました。同じクラスの腕白と喧嘩をして、泣いて帰ったときなど、そのヒンヤリとした腕で包まれると、なにやら傷も治ってしまうような気がするのでありました。僕はその度に、「ああ、手が冷たい人ほど心が温かいというのは、本当なのだな」などと訳の分からない感動をしていたのであります。また、父に対しては非の打ち所の無い良妻であり、父もまたそれに絆されて、穏やかになっていきました。ユキが来て三ヶ月もするころには、父が僕に対して激しい癇癪を起こすことも、もう無くなっておったのです。穏やかな、本当に穏やかな時間でありました。
 

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