小説

『あの子は月にかえらない』池上幸希(『竹取物語』)

 応接室から出てきた日夜子は、恐縮しているおばさんとは対照的に、無表情だった。うつむいて大人たちの後を歩き、すれ違いざまにボクのシャツのすそをきゅっとつかんだ。
「また、あそぼ」
 日夜子の声は、かぼそい抜け道をつたってボクの耳元に届いた。
 CMの仕事が決まったのは、専務が日夜子を気に入ったからだとみんなが言っていた。日夜子は、有名になることなんか望んでない。無邪気でけなげなフツーの女の子なのに。
 ボクらをつなぐものを、きたない大人に壊させはしない。ぜったい。

 加持 統の月

 六年になって、日夜子はようやく学校になじんできた。転校してきた当初は、水害のショックなのか、無口でほとんど笑わなかった。クラスのみんなも先生もはれ物あつかいで、友達をつくるタイミングを逸してしまったらしい。オレは学級委員で運がよかった。みんなにひやかされることなく、公然と彼女の世話をやけるからだ。

 満開のさくらの樹々に抱かれるように、赤いランドセルをしょった日夜子が立っている。ぱっと走りだしたかと思うと、ひゅっとしゃがみ込んだ。
「榊さん、おはよう…」
 ふり返った日夜子は、春に愛されているみたいだった。風で散る花びらを、地面に落ちる前に拾えばいいことがあると言う。ひらひら舞う花びらをキャッチするのは案外むずかしく、二人で跳ねまわる内にいつのまにか充希も加わっていた。こいつがいると、急に騒がしくなる。花壇に尻もちをついて笑った日夜子のほっぺは、さくらの花と同じ色をしていた。セーラー服を着てみそ汁をふうふうするCMの彼女より、正直、ずっと可愛いと思う。
 

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