小説

『あの子は月にかえらない』池上幸希(『竹取物語』)

 達彦が、上ずった声で玲央に答える。僕らは無我夢中で竹林を駆け下り、神社を通り抜けた。走りながら統が、窓はちゃんと閉めたかとか、はしごはあの場所でよかったかとかうるさいから、僕は段差につまづいて転んでしまった。だんだんお祭りの灯りが近づいてきて、にぎやかな熱気が漂ってくる。頭の上では、花火が僕の鼓動みたいに鳴り響いていた。

 里親をなくした日夜子は、東京に引っ越すことになった。芸能事務所の専務が、面倒をみてくれるらしい。まさか、離ればなれになってしまうなんて…。
 夏祭りの時、浴衣を着た日夜子はおばさんと専務と一緒にいた。大人を置いて走り寄ってきた彼女は、あちこちに葉っぱや泥をくっつけた僕らを、動物園から抜け出したけものみたいにしげしげ眺めた。それから達彦の肩の泥をはらい、落っこちていた玲央の軍手を拾い、春太郎の髪についた葉っぱを取り、統ににこっと笑いかけた。僕のひざのすり傷をハンカチでそっと押さえると、しゃがみ込んでフーフーしてくれた。あのCMのように。
 おばあさんは、意識不明で病院に運ばれ、一週間後に息をひきとった。僕らは今もこうしていられるので、警察に疑われることはなかったらしい。駅に向かって走りながら、日夜子との思い出が胸にこみ上げてきて、信号の赤が曇ってゆらいだ。日夜子は、ボストンバッグを提げて東京行きのバスに乗る所だった。僕に気づいて、長い髪がふわりとそよぐ。
「みっくん…わざわざ見送りにきてくれたの?」
「ひよちゃん、僕、会いにいくよ。東京に」
 息切れのせいか、涙声になってしまい動揺した。日夜子はバスステップで小さくうなずく。
「あのさ、ひよちゃん。僕…じつは、僕たち…」
 なめらかな果実みたいなくちびるが、ふっと僕のくちびるをふさいだ。
 

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