小説

『あの子は月にかえらない』池上幸希(『竹取物語』)

 災害孤児、というのが自分のことなのだと、児童相談所の廊下ではじめて知った。車椅子に乗った痩せぎすのおばあさんが、腰の低い女の人と一緒にやってきたのは、悪夢の夏休みが終わる頃だ。血のつながった孫だからと里親の申し出をされたが、鶏小屋みたいな施設に、傷ついた春太郎を一人で置いていくことはできなかった。
 結局は二人で竹林の上の屋敷に引き取られることになったが、施設に残るのとどっちがましだったんだろうと、今でもふと思う。
 あたしは、きれいなママが大好きだった。朝はほっぺたをなでて起こしてくれた。台所で、料理しながらピクルスをつまんでいた。酔っぱらうと、あたしのひざに寝転がった。こっそり口紅を塗っていたあたしに、むせ返る匂いのおしろいをはたいて、「女の武器は、じょうずに使いなさい」と教えてくれた。その意味は、よくわからないままだけど…。
 恋人とともに死んだママは、白い小さな壺の中で、あたしを守ってくれている。

千石 達彦の月

 父親が浮気しているらしいと気づいたのは、いつだったろう。月に何度か、出張で帰らないことがあった。不動産屋の社長とはそういうものだと思っていたが、ばあちゃんの小言で疑惑がふくらんだ。母さんは会社の経理をしながら、家事を淡々とこなしていた。外面のいい父親は家では寡黙で、母さんともよそよそしかった。おれは、いつも大人たちの顔色をうかがっていた。死んだ父親の肌は石膏みたいに白く、情けなさのあまり涙が出た。
 腹ちがいの子どもを引き取れば、給付金がもらえるらしい。家賃収入があるものの、父親なしでこれまでと同じ暮らしは保てない。ばあちゃんは、それを理由に母さんを丸めこんだ。「あの娘なら、金儲けだってできる」と枯れ葉がこすれるような声を出し、暗い階段に座っていたおれを身ぶるいさせた。
 ひとつ年下の日夜子は、想像していたのとは全然ちがう、はかない雰囲気の女の子だった。白い肌は、ほのかに血管が透けて見える。つやつやの髪を二つに結び、腰までなびかせていた。くるんとした瞳は深い二重で、まばたきすると風鈴の音が聞こえる気がした。
 

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