肌寒い。春が来たとはいえど、夜は冷えた。
僕と父は真っ赤なツバキをくぐって、庭に入った。夜では目印の背の高いケヤキが見えないため勘で進むしか無かった。ささやかな月明かりは高い木々に遮られ、ここまではほとんど届かなかった。
「なあ。」
前を歩きながら、父は独り言のように言った。「この庭、お前に任せようかと思う。」
予想外の言葉に僕は黙ったままだった。
「お前さ、庭のこと好きだろ。」
「―」
「好きなようにしていいぞ。荒れ放題にして、わるかったな。」
「いいの?」
「いいさ。」
僕は、言葉が出なかった。父は前を歩きながら、振り返らずに続けた。
「その、桜の木に棲みついた鳥はな、透鳥って言うんだ。」
スクドリ? 僕は聞き返した。
「ああ。変な名前だろう。」
「聞いたことないな。」
「俺も、家に棲みつくとは思わなかった。」
父は、少し寂しそうに左の方を見た。彼の視線の先は、僕には何も見えなかった。「その鳥はな、わざわざ人の家の近くに巣を作るんだ。ツバメみたいな習性だな。ただツバメと違うのは、別に季節を選ばずにやってきて、ひと月ぐらいしたらいつの間にかいなくなっているところだな。」
「そんな鳥、聞いたことない。」
「まあ、普通の鳥じゃないからな。」父は興味なさげに前方の闇に向けて言った。
ふと気がつくと、僕らは桜の木の下についていた。風が少し吹いていた。父がふと上を見上げたのにつられて、僕もその辺りを見上げる。