小説

『桜桃の色の朝陽』柿沼雅美(『桜桃』太宰治)

「さくらんぼ落ちてるよ」
「そうなの、さっきえれなが飛ばしちゃって。すぐ片づけるから」
「ここの一個だけ拾っとくから」 
聡史はソファに脱いだジャケットをバサッと置いて、桜桃をひとつゴミ箱へ入れ、キッチンで手を洗った。
「えれなのマグマグとか洗うんだから手は洗面所でっていつも言ってるのに」
私の声を小言がなにかと思っているのか、聡史は、んー、とだけ返事をした。えれなは聡史に向かって、パーパーと言い、聡史は、ただいまだねーいいこだったかなーとテレビを見ながらえれなの頭をポンポンと撫でた。一歳が近くなってきてえれなの言うことが増えたことをこの人は気が付いているんだろうか、と聡史の目線を追うように、子供が親を刺したテレビのニュースを見つめた。
 おなかがいっぱいになってきて眠そうなえれなの正面に聡史が座る。えれなにごはん全部食べさせちゃえばよかったのに、と言う聡史に、もう結構食べたんだよ、と返事をしながら、ネコにカリカリをあげるのとはわけがちがうのだ、と言いたくなる。私はまたキッチンに立ち、大人用の野菜スープに胡椒を足して、豚肉を焼いて、炊飯器からごはんをよそった。
 「保育園どう?」
 聡史がテレビのチャンネルを変えて言う。アイドルがボールを蹴って数字の書かれた円柱を倒し、喜んでいるところだった。
 「預けるときはまだぎゃん泣きするけど、時間たてばケロッとして他の子と遊んでるよ」
 テーブルに皿や箸を置くと、聡史は、ビール、と言う。
 「あ、そっか、ライブ動画で見れるんだっけな、すごい時代だよなぁ。でも最近風邪気味なことが多くないか?」
 冷蔵庫を開け、二本だけ残っていたビールを取りだしてテーブルについた。隣ではえれなが座ったまま眠りこけている。明日はえれなの予防接種で奇跡的に休みをもらえたから天気が雨じゃなかったら、帰りにスーパーに寄ってビールを買っておかなければと思う。トイレットペーパーを買うタイミングと重なったらベビーカーを引きながらではちょっとつらい。
 

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