小説

『泥田坊』化野生姜(『泥田坊』『鶴巻田』『継子と鳥』)

家族と医者には教授が誤って田んぼの中に落ちたという形で話しをした。
私には言えなかったのだ。教授があの生き物とも判別がつかないものに殺されてしまったのだとは。
だが、話したとしても到底信じてもらえるとは思えなかった。
そうして、私はまだ夜も明けきらぬうちに大学の駐車場に車を停めると泥のついた長靴や服を替えもせず、急いで警備員室へ向かった。

私は確かめたかったのだ。あの生き物は何なのかを。教授に何があったのかを。
教授は教授の祖母からあの田んぼにまつわる話を聞いていたという。
だが、非科学的な事を嫌っていた教授が何故あそこまで昔話を知っていたのか。私はそこに何かあると感じていた。
そうして、私は夜勤の警備員に教授の大事を伝えると、彼の荷物を取りに行きたいという名目で大学内の鍵を開けてもらった。

電気を点けると、そこにはいつもの散らかった教授の部屋があった。
もう部屋の主がいないにも関わらず、変わらない日常的な雰囲気に私は危うくその場で涙を流しそうになった。それほどまでに私は疲れきっていた。

だが、悠長なことはしていられなかった。
私は教授の本棚や机の辺りから何か手がかりになるものはないかと探した。そうしてしばらく漁っていると私は机の引き出しから見覚えのある一冊の古い和紙で作られた手帳を発見した。

教授は元来あまり手帳をつけるようなたちではなかった。
そのため一通りの調査をした後は助手である私に全てのデータを寄越し、まとめさせていた。それ故にこの手帳を見たときに私は冗談めかして教授に詰め寄ったものだ。こんなに私をこき使っているのに、そのうえ一体何を調べているんですかと。そうしてその度に教授は笑って答えをはぐらかしていた。

だが私があるとき教授の部屋に入る際、教授が何かをコピーした文章をこの手帳に書き写しているところを私はちらりと覗き見ていた。

確かに覚えている。そのタイトルは「鶴巻田」であった。
 

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