小説

『ユリ』田中りさこ(『ヒナギク』)

 元に戻れるかもしれない。でも、別にいい。
 菊田さんはといえば、発表の後も、いつもと変わらなかった。友莉は友莉で、いつもと変わらない距離を保った。
 友莉は菊田さんを見習って、お弁当を作ったものの、三日坊主だった。
 でも、いいのだ。
「私は、私だから」
 そう呟くと、心がすっと軽くなった。
 今は一人で、会社周りのランチを食べ歩くことが友莉の楽しみになった。

 発表から一ヵ月後、翼さんと菊田さんは退職した。本人達の希望で送別会は行わなかった。
 二人を送り出す時、部長が翼さんの肩を叩きながら、上機嫌で言った。
「まあ、披露宴で盛大に祝うとしよう。呼ぶの忘れるなよ」
 課がどっと笑いに包まれた。
 けれども、いつになっても披露宴の知らせは届かず、冬が終わり、春へと季節は巡った。

 友莉の毎日は変わらない。
 変わったことと言えば、よく行くランチの店で常連になったことと、友莉が更衣室の一番乗りになったことくらいか。
 更衣室のドアを開けると、むっとした空気をまず感じた。梅雨入り前の五月だというのに、夏のように暑い日だった。
 こもった暑さに耐えきれず、友莉は、エアコンのリモコンに手を伸ばした。
 エアコンの起動音がして、最初は生暖かい風が吹きはじめる。
 部屋が冷えるまで、まだまだ時間が掛かりそうだ。
 ロッカーの扉についた小さな鏡を見て、「そろそろ髪、切ろうかな」と友莉は呟いた。
 

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