小説

『ユリ』田中りさこ(『ヒナギク』)

 鳥羽 翼さん、四年目の若手で、友莉の所属する課の同僚だ。
 実家は、会社経営。つまり、将来の社長だ。外見、性格、財力と三拍子揃った翼さんに憧れる女子社員は多い。
 言うまでもなく、友莉もそのうちの一人だった。
 友莉の声は、ワントーン高くなった。
「おはようございます。電車ですか? 珍しいですね。いつもは、自転車じゃないですか?」
 翼さんは、一瞬しまったっという顔をした。
「ちょっと昨日飲み過ぎちゃってさ。今日は自転車さぼり…みんなには、内緒ね」
 翼さんは、肩をすくめた。そんな様子もかわいいと内心で思いながら、友莉は笑ってうなずいた。
 会社前のコンビニに寄るという翼さんと別れ、友莉は更衣室に向かった。
-朝から、翼さんに話しかけられちゃった、今日は何かいいことありそう。
 友莉は、浮き浮きとした気持ちで更衣室に向かった。
 ついうっかりノックをしてから開けるというルールを忘れ、ドアを開けた友莉は、取り繕うように、急いで言った。
「あ、おはようございます」
 ロッカールームには、菊田 陽奈さんがいた。
 ブラウスのボタンを止めながら、菊田さんは控えめな声で「おはよう」と言った。
「すみません、急に開けて」
「いいえ」
 会話が途切れた。
 菊田さんは、入社した頃から同じ部署にいるから、約一年の付き合いなのだが、二人で話すことはなかった。
 友莉は横目で、菊田さんを見た。
 化粧っ気のない白い顔には、うっすらそばかすが浮かんでいる。
-あのまゆげ、手入れくらいしたらいいのに。口にも産毛。
 友莉のじっとした視線を感じたのか、菊田さんが唐突に友莉を見た。
 菊田さんの真っ黒な瞳に、すべて見透かされたような気がして、友莉は慌てて口を開いた。
「そういえば、菊田さん、翼さんと同期なんですよね?」
「そうよ」
 また話が途切れた。
 ドアが二回ノックをされて、開いた。
「おっはよう」
 

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