だが驚いた事に、横から彼女の視線を感じた。向こうも身動きをしないで、ジッとこっちを見ている。何で?理由は分からなくても、取り敢えず、彼女に顔を向けないと。ただ首を90度に満たない角度に振り向けるだけなのに、彼女がどんな顔でこっちを見ているのか、それを考えるだけで関節が全く動いてくれなかった。それでも何とかぎこちなく顔を向ける事に成功した。
彼女と目が合う。真面目な顔をして、ジッとこちらを見ている。一瞬彼女に見とれてしまったが、すぐに何か言わなきゃ、と、さして性能のよくない脳みそをフル回転させた。
「何言ってんだろうね、おばさん」
……最悪だ。よりにもよってこの状況で自ら逃げた。
「……そうだね」
彼女が微笑む。うぬぼれているのか、幾分寂しそうに見えた。
彼女が歩き出す。僕との距離が広がる。これは単なる距離じゃなかった。この田舎町とニューヨークの距離。それどころか、僕は彼女が決して手の届かない所に行ってしまうような錯覚を覚えた。いや、錯覚じゃない。ニューヨークも関係ない。どうしようもない埋められない距離が今ここにできはじめたんだ。もうこれを逃したら終わりだ、と心の中で分かっていた。彼女が離れていく。どうしよう。体が固まってしまい、何も出来ない。終わりだ、終わりだ。と頭の中に言葉が浮かぶ。視界が狭まった。
でも……と別の考えが頭に浮かびあがった。もし……もし、今彼女との距離をもう一度縮める事が出来れば、逆に物理的な距離なんて関係なくなるんじゃないのか?ニューヨークだって、それこそ彼女が月にいたって関係ない。僕がおそれていたのは単純な距離じゃない。気障な言い方だが、心の距離が離れてしまう事が怖いんだ。
このままじゃ、友達としての距離も見えないくらいに広がってしまうぞ。それでもいいのか?と心の中の勇敢な僕が言った。
スーッと、狭まっていた視界が元に戻った。何かが吹っ切れた。開き直りというか、度胸が据わった気がする。緊張と、驚いた事にちょっとした嬉しさ。こんな事は生まれて初めてだ。
思いっきり深呼吸した。そして、今までのネガティブな考えを追い出すように、
「あー!」
と、僕は叫んだ。びっくりして、彼女が振り返る。