一対の瓢箪。この前で自分の名前を呼ばれて返事をしようものなら大変なので、こちらはガラスケースにしっかりと収めている。中国の物はあまりうちの店で預かることはないため、これは数少ない逸品だ。
うちの店には、西洋のものも少くない。
壁にかかったゴシック調の鏡。これで姿を映すと、いつもより男前に見えるのだが、お前よりもいい男はあちらこちらにいると言われて、ちょっと不愉快にもなる。
金銀一対の斧。
夕日を浴びて輝く硝子の靴。
カラフルな縦笛。これは吹くとネズミが集まってきてしまうそうなので、吹いてみたいがためらっているところだ。
コート掛けにはハンガーだけかかっているように見えるが、あれは透明な服だ。最近引き取ったばかりの赤い頭巾は、その透明な服のそばに展示している。
この間、ふわりと浮かぶペルシア織の絨毯と、カレーのルーを入れるあの容器のような形の金色のランプを持ち込んだ男の子がいた。中東の物は詳しくないので、預かりを断ったこともある。
してみると、私の店、「拾思堂」は一見、普通の骨董品屋である。
しかし、これらの品々は誰かに売却できるものではない。すべては国際物語管理機構の附属機関である特別物品調査委員会が引き取っていく。普通の骨董屋と思って、たまに一般の人がやってくるが、あれこれ理由を付けて売却しないようにしている。
拾思堂にやってくる人々。それは、国際物語管理機構の管理の基に置かれている特別な人々だ。わけあって、大事な御道具を手放すことになったかれらの話を聞くこともまた、私の大切な仕事の一つだった。
「聞かせていただけますか、その御道具にまつわるあなたの物語を。」
拙僧は、結局魅入られてしまっていたのですなぁ。
認められたのが、嬉しかったのですよ。あのような方々に自分の平曲語りが受け入れられて、毎夜拙僧を呼んでくれたのですからね。
この盲いた目でございますから、どのような方々だったのか、そのときは存じ上げませなんだが、後から聞いたところによると、畏れ多くも安徳帝と平家の方々だったとか。
ええ、確かに恐ろしゅうはございました。何せ、この世ならぬ方々でございますからね。ただ、拙僧の拙い語りが、幼くして崩じられた帝の御心を安んずる一助になっていたかと思えば、それはそれで嬉しゅうございました。