小説

『琵琶のゆくえ』森江蘭(『耳なし芳一』)

 拙僧はもう、良かったのでございます。
 このまま、あの方たちに連れられて、波の下にもあるという都に行ってしまうのも。拙僧は、疲れておりました。道を歩くも不自由する身。琵琶法師として身を立ててからも、日々、食うにも困っておりました。
 拙僧の平曲は鬼神をも涙する平曲語りだったと、ええ、そのようにおっしゃる方もおられたようですが、それはあくまであの一件があってからのことでございます。拙僧の語りがそれほどの域に達していたなど、滅相もございません。
 拙僧が長州の赤間関に流れてきたおり、日々食うや食わずの乞食坊主でございました。拙僧に鬼神を泣かすほどの腕がございましたら、それこそ、都のやんごとのないお方のご寵愛の一つも、受けることができたのかもしれませんな。
 拙僧には、己の琵琶の平曲語りの腕がいかほどのものか、重々わかっておりました。
 確かに、道端で語っておりますれば、道行く方々からはいくばくかのお足を頂くこともございましたし、さるお武家にお呼びのかかることも、まぁ、ございました。
 なんとか食っていける、所詮その程度のものにございます。
 拙僧の平曲語りは、魂を揺るがすような、人の心をとろかすような、それこそ鬼神を泣かすような名人の伎になど程遠いものにございます。
 迷うて、おりました。
 このまま平曲語りを続けて何になろうか。所詮は乞食坊主にすぎない盲いた身。この濁世で苦しい思いを続けるよりも、浄土で救われる方がよいのではないか、そんな思いを抱えて赤間関にひっそりと庵を編んだのでございます。
 そんなときでした、阿弥陀寺の和尚様に平曲を所望されましたのは。
 和尚様は、たいそう詩歌管弦に造詣の深い方でございました。そのような方のお気に召す語りができる自信は、拙僧にはありませなんだ。
 それでも、和尚様は拙僧の平曲語りを喜んで聞いておいででした。
 しかし、拙僧にはわかっておりました。和尚様は、拙僧の平曲を心から喜んだのではないということを。和尚様が拙僧を召していただいたのは、ひとえにこの身を憐れんでのことであったのでございましょう。
 

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